源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第17回 「帚木」より その8

烏滸(おこ)なる物語のことなどに触れ、左馬頭の女性論が締めくくられ、源氏の内面の描写が少しあり、雨夜の品定めの話は終わる。源氏は、方違えで出かけます。

はじめに

「烏滸(おこ)」について

「日本の物語には、あるいは神話の部分もそうですけれども、非常に高い神、あるいは清らかな神のすばらしいことを伝える部分は、もちろん大事なことは言うまでもありませんけれども、それだけではなくて、あらゆる点で優れた面を持っているはずの神が、またその反面で非常に烏滸(おこ)なることを演じてしまう。烏滸なる技を心ならずもやってしまう。そこが面白いんですね。」

(式部)「さていと久しくまからざりしに、

 「さて、いと久しくまからざりしに、もののたよりに立ち寄りてはべれば、常のうちとけゐたる方にははべらで、心やましき物越しにてなむ逢ひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、また、よきふしなりとも思ひたまふるに、このさかし人はた、軽々しきもの怨じすべきにもあらず、世の道理を思ひとりて恨みざりけり。
 声もはやりかにて言ふやう、

 『月ごろ、風病重きに堪へかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなむ、え対面賜はらぬ。目のあたりならずとも、さるべからむ雑事らは承らむ』

 と、いとあはれにむべむべしく言ひはべり。答へに何とかは。ただ、『承りぬ』とて、立ち出ではべるに、さうざうしくやおぼえけむ、

 『この香失せなむ時に立ち寄りたまへ』と高やかに言ふを、聞き過ぐさむもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、げにそのにほひさへ、はなやかにたち添へるも術なくて、逃げ目をつかひて、

 『ささがにのふるまひしるき夕暮れに
  ひるま過ぐせといふがあやなさ
 いかなることつけぞや』

 と、言ひも果てず走り出ではべりぬるに、追ひて、

 『逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならば
  ひる間も何かまばゆからまし』

さすがに口とくなどは侍りき」と、しづしづと申せば、

 さすがに口疾くなどははべりき」

 と、しづしづと申せば、君達あさましと思ひて、「嘘言」とて笑ひたまふ。

 「いづこのさる女かあるべき。おいらかに鬼とこそ向かひゐたらめ。むくつけきこと」

 と爪弾きをして、「言はむ方なし」と、式部をあはめ憎みて、

 「すこしよろしからむことを申せ」と責めたまへど、

 「これよりめづらしきことはさぶらひなむや」とて、をり。

(馬の頭)「すべて男も女も、わろ者は、

 「すべて男も女も悪ろ者は、わづかに知れる方のことを残りなく見せ尽くさむと思へるこそ、いとほしけれ。

 三史五経、道々しき方を、明らかに悟り明かさむこそ、愛敬なからめ、などかは、女といはむからに、世にあることの公私につけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然に多かるべし。

 さるままには、真名を走り書きて、さるまじきどちの女文に、なかば過ぎて書きすすめたる、あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり。心地にはさしも思はざらめど、おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈の中にも、多かることぞかし。

 歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき古言をも初めより取り込みつつ、すさまじき折々、詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。返しせねば情けなし、えせざらむ人ははしたなからむ。

さるべき節会など、さつきの節に、急ぎ参るあした、

 さるべき節会など、五月の節に急ぎ参る朝、何のあやめも思ひしづめられぬに、えならぬ根を引きかけ、九日の宴に、まづ難き詩の心を思ひめぐらして暇なき折に、菊の露をかこち寄せなどやうの、つきなき営みにあはせ、さならでもおのづから、げに後に思へばをかしくもあはれにもあべかりけることの、その折につきなく、目にとまらぬなどを、推し量らず詠み出でたる、なかなか心後れて見ゆ。

 よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆる折から、時々、思ひわかぬばかりの心にては、よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき。

すべて、心に知れらむ事をも知らず顔にもてなし、

 すべて、心に知れらむことをも、知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは過ぐすべくなむあべかりける」

 と言ふにも、君は、人一人の御ありさまを、心の中に思ひつづけたまふ。「これに足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。

 いづ方により果つともなく、果て果てはあやしきことどもになりて、明かしたまひつ。

からうじて、今日は日のけしきもなほれり。

 からうして今日は日のけしきも直れり。かくのみ籠もりさぶらひたまふも、大殿の御心いとほしければ、まかでたまへり。

 おほかたの気色、人のけはひも、けざやかにけ高く、乱れたるところまじらず、なほ、これこそは、かの、人びとの捨てがたく取り出でしまめ人には頼まれぬべけれ、と思すものから、あまりうるはしき御ありさまの、とけがたく恥づかしげに思ひしづまりたまへるをさうざうしくて、中納言の君、中務などやうの、おしなべたらぬ若人どもに、戯れ言などのたまひつつ、暑さに乱れたまへる御ありさまを、見るかひありと思ひきこえたり。

 大臣も渡りたまひて、うちとけたまへれば、御几帳隔てておはしまして、御物語聞こえたまふを、「暑きに」とにがみたまへば、人びと笑ふ。「あなかま」とて、脇息に寄りおはす。いとやすらかなる御振る舞ひなりや。

暗くなる程に、(女房)「今宵なか神うちよりはふた塞がりて侍りけり」

 暗くなるほどに、
 「今宵、中神、内裏よりは塞がりてはべりけり」と聞こゆ。

 「さかし、例は忌みたまふ方なりけり」
 「二条の院にも同じ筋にて、いづくにか違へむ。いと悩ましきに」

 とて大殿籠もれり。「いと悪しきことなり」と、これかれ聞こゆ。

 「紀伊守にて親しく仕うまつる人の、中川のわたりなる家なむ、このころ水せき入れて、涼しき蔭にはべる」と聞こゆ。

 「いとよかなり。悩ましきに、牛ながら引き入れつべからむ所を」

 とのたまふ。忍び忍びの御方違へ所は、あまたありぬべけれど、久しくほど経て渡りたまへるに、方塞げて、ひき違へ他ざまへと思さむは、いとほしきなるべし。

紀の守に仰せ言たまへば、うけたまはりながら、

紀伊守に仰せ言賜へば、承りながら、退きて、

 「伊予守の朝臣の家に慎むことはべりて、女房なむまかり移れるころにて、狭き所にはべれば、なめげなることやはべらむ」

 と、下に嘆くを聞きたまひて、

 「その人近からむなむ、うれしかるべき。女遠き旅寝は、もの恐ろしき心地すべきを。ただその几帳のうしろに」とのたまへば、

 「げに、よろしき御座所にも」とて、人走らせやる。いと忍びて、ことさらにことことしからぬ所をと、急ぎ出でたまへば、大臣にも聞こえたまはず、御供にも睦ましき限りしておはしましぬ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第17回 「帚木」より その8
収録日 2002年5月16日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成14年春期講座

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