源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第35回 「若紫」より その2

そんな春の日尼上と、十歳ぐらいの藤壺にどことなく似ている女の子をかいまみ、境遇を知り、傍で行く末を見守りたいと思う。折口信夫の「魂の感染教育」歌に込める魂、家持の歌について。

日もいと永きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛(まぎ)れて、

 日もいと永きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛(まぎ)れて、かの小柴垣(こしばがき)のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光ばかり御供にて、のぞき給へば、ただこの西面(にしおもて)にしも、持仏すゑ奉りて、行ふ尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息のうへに経を置きて、いとなやましげに読み居たる尼君、たゞ人と見えず、四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩(や)せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪の美しげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしき物かな、とあはれに見給ふ。

清げなるおとな二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。

 清げなるおとな二人ばかり、さては童女(わらはべ)ぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹などのなれたる着て、走り来たる女ご、あまた見えつる子供に似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、美しげなるかたちなり。髪は、扇を広げたるやうに、ゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

(尼君)「何事ぞや、童女(わらはべ)と腹立ち給へるか」とて、

 (尼君)「何事ぞや、童女(わらはべ)と腹立ち給へるか」とて、尼君の見上げたるに、すこし覚えたる所あれば、子なめりと見給ふ。(女児)「雀の子をいぬきが逃がしつる。ふせごのうちに籠(こ)めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。此(こ)の居たるおとな、「例の、心なしの、かゝるわざをして、さいなまるゝこそ、いと心づきなけれ。いづかたへか罷(まか)りぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏(からす)などもこそ見つくれ」とて立ちて行く。髪ゆるゝかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母(めのと)とぞ人言ふめるは、この子の後見なるべし。

尼君「いで、あな幼なや。言ふかひなうものし給ふかな。

 尼君「いで、あな幼なや。言ふかひなうものし給ふかな。おのが斯(か)くけふあすにおぼゆる命をば、何ともおぼしたらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得る事ぞと常に聞ゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へば、ついゐたり。

つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、

 つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額(ひたい)つき、かんざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かなと目とまり給ふ。さるは、限りなう心をつくし聞ゆる人に、いとよう似奉れるがまもらるゝなりけり、と思ふにも、涙ぞ落つる。

尼君、髪をかき撫でつゝ、「けづる事をもうるさがり給へど、

 尼君、髪をかき撫でつゝ、「けづる事をもうるさがり給へど、をかしの御ぐしや。いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかゝらぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひしほど、いみじう物は思ひ知り給へりしぞかし。唯今おのれ見棄て奉らば、いかに世におはせむとすらむ」とて、いみじく泣くを見給ふも、すゞろに悲し。幼なごゝちにも、さすがにうちまもりて、伏目(ふしめ)になりてうつぶしたるに、こぼれかゝりたる髪つやつやとめでたう見ゆ。 

 (尼君)「おひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむ空なき」

 また居たるおとな、「げに」とうち泣きて、
 (女房)「初草のおひ行く末も知らぬ間にいかでか露の消えむとすらむ」

と聞ゆる程に、僧都あなたより来て、(僧都)「こなたはあらはにや侍らむ。

 と聞ゆる程に、僧都あなたより来て、(僧都)「こなたはあらはにや侍らむ。けふしも端におはしましけるかな。この上(かみ)の聖の方に、源氏の中将の、わらはやみまじなひにものし給ひけるを、只今なむ聞きつけ侍る。いみじうしのび給ひければ、知り侍らで、こゝに侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける」と宣へば、(尼君)「あないみじや、いとあやしき様を人や見つらむ」とて、簾おろしつ。(僧都)「この世にののしり給ふ光る源氏、かゝるついでに見奉り給はむや。世を棄てたる法師の心地にも、いみじう世の愁(うれへ)忘れ、よはひのぶる人の御有様なり。いで御消息聞えむ」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。

「あはれなる人を見つるかな。かゝればこの好きものどもは、

 「あはれなる人を見つるかな。かゝればこの好きものどもは、かゝるありきをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外なる事を見るよ」と、をかしうおぼす。「さても、いとうつくしかりつるちごかな。なに人ならむ。かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや」と思ふ心、深うつきぬ。

うち臥し給へるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす。

 うち臥(ふ)し給へるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす。ほどなき所なれば、君もやがて聞き給ふ。(僧都)「過(よぎ)りおはしましける由、唯今なむ人申すに、驚きながら候(さぶら)ふべきを、なにがしこの寺に籠り侍りとはしろしめしながら、忍びさせ給へるを、憂はしく思ひ給へてなむ。草の御むしろも、この坊にこそまうけ侍るべけれ。いと本意なきこと」と申し給へり。(源氏)「いぬる十よ日の程より、わらはやみにわづらひ侍るを、度重なりて堪(た)へ難く侍れば、人の教へのまゝ、にはかに尋ね入り侍りつれど、かやうなる人の、しるしあらはさぬ時、はしたなかるべきも、たゞなるよりはいとほしう思ひ給へつゝみてなむ、いたう忍び侍りつる。今そなたにも」と宣へり。

すなはち僧都参り給へり。法師なれど、いと心はづかしく、

 すなはち僧都参り給へり。法師なれど、いと心はづかしく、人がらもやんごとなく、世に思はれ給へる人なれば、軽々しき御有様を、はしたなうおぼす。かく籠れる程の御物語など聞え給ひて、(僧都)「同じ柴(しば)の庵(いほり)なれど、すこし涼しき水の流れも御覧ぜさせむ」と、切(せち)に聞え給へば、かのまだ見ぬ人々に、ことごとしう言ひ聞かせつるを、つつましうおぼせど、あはれなりつる有様もいぶかしうて、おはしぬ。

げにいと心殊に由ありて、同じ木草をも植ゑなし給へり。

 げにいと心殊に由ありて、同じ木草をも植ゑなし給へり。月もなき頃なれば、遣水(やりみず)に篝火(かがりび)ともし、灯籠(とうろう)などにも参りたり。南面(みなみおもて)いと清げにしつらひ給へり。そらだきもの心にくゝ薫り出(い)で、名香(みやうがう)の香などにほひ満ちたるに、君の御追ひ風いとことなれば、内の人々も心づかひすべかめり。

僧都、世の常なき御物語、後の世の事など聞え知らせ給ふ。

 僧都、世の常なき御物語、後の世の事など聞え知らせ給ふ。「我が罪の程恐ろしう、あぢきなき事に心をしめて、生ける限り、これを思ひなやむべきなめり。まして後の世のいみじかるべき」おぼし続けて、かうやうなるすまひもせまほしう覚え給ふものから、昼の面影(おもかげ)心にかゝりて恋しければ、(源氏)「こゝにものし給ふは誰にか。尋ね聞えまほしき夢を見給へしかな。今日なむ思ひ合はせつる」と聞え給へば、うち笑ひて、(僧都)「うちつけなる御夢語りにぞ侍るなる。尋ねさせ給ひても、御心劣りせさせ給ひぬべし。故按察使大納言は、世になくて久しくなり侍りぬれば、え知ろしめさじかし。その北の方なむ、なにがしが妹(いもうと)に侍る。かの按察使かくれて後、世をそむきて侍るが、此の頃わづらふ事侍るにより、かく京にもまかでねば、たのもし所に籠りてものし侍るなり」と聞え給ふ。

(源氏)「かの大納言の御むすめ、ものし給ふと聞き給へしは。

 (源氏)「かの大納言の御むすめ、ものし給ふと聞き給へしは。すきずきしき方にはあらで、まめやかに聞ゆるなり」と、おしあてに宣へば、(僧都)「娘たゞ一人侍りし。亡(う)せて此の十よ年にやなり侍りぬらむ。故大納言、内に奉らむなど、かしこういつき侍りしを、その本意のごとくもものし侍らで、過ぎ侍りにしかば、たゞこの尼君一人もてあつかひ侍りし程に、いかなる人のしわざにか、兵部卿の宮なむ、忍びて語らひつき給へりけるを、もとの北の方、やむごとなくなどして、やすからぬ事多くて、明け暮れ物を思ひてなむ、なくなり侍りにし。物思ひにやまひづくものと、目に近く見給へし」など申し給ふ。

さらばその子なりけり、と、おぼし合はせつ。

 さらばその子なりけり、と、おぼし合はせつ。御子の御筋にて、かの人にも通ひ聞えたるにや、と、いとゞあはれに、見まほし。人の程もあてにをかしう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のまゝに教へおほし立てて見ばや、とおぼす。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第35回 「若紫」より その2
収録日 2003年6月5日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成15年春期講座

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