源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第34回 「若紫」より その1

『伊勢物語』にふれ講義へ。瘧病を治癒する為、北山の聖のもとで加持する源氏。春の霞の日の遠望を愛で、播磨の明石の浦の入道とその娘の噂話などを耳にし「たゞならずおぼし」たりする。

わらはやみにわづらひ給(たま)ひて、

 わらはやみにわづらひ給(たま)ひて、よろづにまじなひ加持などまゐらせ給へど、しるしなくて、あまたゝびおこり給ひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人侍(はべ)る。こぞの夏も世におこりて、人々まじなひわづらひしを、やがてとゞむるたぐひあまた侍りき。しゝこらかしつる時は、うたて侍るを、とくこそこゝろみさせ給はめ」など聞(きこ)ゆれば、召しにつかはしたるに、(行者)「老いかゞまりて、むろのとにもまかでず」と申したれば、(君)「いかゞはせむ。いとしのびて物せむ」と宣(のたま)ひて、御ともにむつまじき四五人(よたりいつたり)ばかりして、まだあかつきにおはす。

『伊勢物語』より

むかし、男、初冠(うひかうぶり)して、奈良の京(きやう)、春日(かすが)の里に、しるよしして、狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。おもほえず、ふる里に、いとはしたなくてありければ、心地(ここち)まどひにけり。男の着たりける狩衣(かりぎぬ)の裾(すそ)を切りて、歌を書きてやる。その男、信夫摺(しのぶずり)の狩衣(かりぎぬ)をなむ、着たりける。

春日野(かすがの)の若紫(わかむらさき)のすりごろも
しのぶの乱れかぎり知られず

となむ、おいづきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ、

みちのくのしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにしわれならなくに

といふ歌の心ばへなり。昔人(むかしびと)は、かくいちはやきみやびをなむ、しける。

やゝ深う入る所なりけり。やよひのつごもりなれば、

 やゝ深う入る所なりけり。やよひのつごもりなれば、京の花ざかりは皆すぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするまゝに、霞のたゝずまひもをかしう見ゆれば、かゝるありさまも慣らひ給はず、所せき御身にて、めづらしうおぼされけり。寺のさまもいとあはれなり。峰たかく、深きいはの中にぞ、ひじり入り居たりける。のぼり給ひて、たれとも知らせ給はず、いといたうやつれ給へれど、しるき御さまなれば、(ひじり)「あなかしこや。ひと日、召し侍りしにやおはしますらむ、今は此の世の事を思ひ給へねば、験がたのおこなひも、捨て忘れて侍るを、いかで斯(か)うおはしましつらむ」と驚きさわぎ、うちゑみつゝ見奉(みたてまつ)る、いとたふとき大徳(だいとこ)なりけり。さるべき物つくりてすかせ奉り、加持などまゐるほど、日たかくさしあがりぬ。

すこし立ち出でつゝ見わたし給へば、高き所にて、こゝかしこ僧房ども、

 すこし立ち出でつゝ見わたし給へば、高き所にて、こゝかしこ僧房ども、あらはに見おろさるゝ。たゞこのつづらをりのしもに、同じ小柴なれど、うるはしうしわたして、きよげなる屋、廊などつづけて、木立(こだち)いとよしあるは、(君)「なに人の住むにか」と問ひ給へば、御ともなる人、「これなむ、なにがし僧都の、このふたとせ籠り侍る房に侍るなる」(君)「心はづかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうもあまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」など宣ふ。きよげなるわらはなど、あまた出で来て、閼(あ)伽(か)奉り花をりなどするも、あらはに見ゆ。(供人)「かしこに女こそありけれ。僧都はよもさやうにはすゑ給はじを、いかなる人ならむ」とくちぐち言ふ。おりてのぞくもあり。(供人)「をかしげなる女(をんな)ごども、わかき人、わらはべなむ見ゆる」と言ふ。

君はおこなひし給ひつゝ、日たくるまゝに、

 君はおこなひし給ひつゝ、日たくるまゝに、いかならむとおぼしたるを、(供人)「とかう紛らはさせ給ひて、おぼしいれぬなむよく侍る」と聞(きこ)ゆれば、しりへの山に立ち出でて、京のかたを見給ふ。はるかに霞みわたりて、よもの梢(こずゑ)そこはかとなうけぶりわたれるほど、(君)「絵にいとよくも似たるかな。かゝる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」と宣へば、(供人)「これはいとあさく侍り。人の国などに侍る海山(うみやま)のありさまなどを御覧ぜさせて侍らば、いかに御絵いみじうまさらせ給はむ。富士の山、なにがしのたけ」など語り聞ゆるもあり。また西国(にしぐに)のおもしろき浦々、磯のうへを言ひ続くるもありて、よろづに紛らはし聞ゆ。

(供人)「ちかき所には、播磨の明石の浦こそ

 (供人)「ちかき所には、播磨(はりま)の明石(あかし)の浦(うら)こそなほことに侍れ。なにのいたりふかきくまはなけれど、たゞ海のおもてを見わたしたるほどなむ、あやしくこと所に似ず、ゆほびかなる所に侍る。かの国のさきの守(かみ)しぼちの娘かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後にて、出でたちもすべかりける人の、世のひがものにて、まじらひもせず、近衛の中将をすてて申し賜(たま)はれりけるつかさなれど、かの国の人にも少しあなづられて、『なにのめいぼくにてか、またみやこにも帰らむ』と言ひて、かしらもおろし侍りにけるを、すこし奥まりたる山ずみもせで、さる海づらに出で居たる、ひがひがしきやうなれど、げにかの国のうちに、さも人の籠(こも)り居ぬべき所々はありながら、深き里は人ばなれ心すごく、わかき妻子(さいし)の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれるすまひになむ侍る。

さいつごろまかりくだりて侍りしついでに、ありさま見給へに寄りて侍りしかば、

 さいつごろまかりくだりて侍りしついでに、ありさま見給へに寄りて侍りしかば、京にてこそ所えぬやうなりけれ、そこら遙(はる)かに、いかめしう占(し)めてつくれるさま、さは言へど、国のつかさにてしおきける事なれば、残りのよはひゆたかにふべき心がまへも、二なくしたりけり。のちの世のつとめも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、(君)「さて、その娘は」と問ひ給ふ。

(供人)「けしうはあらず、かたち心ばせなど侍るなり。

 (供人)「けしうはあらず、かたち心ばせなど侍るなり。代々の国のつかさなど、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。『我が身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさま異なり。もし我におくれて、その心ざし遂(と)げず、この思ひおきつる宿世(すくせ)たがはば、海に入りね』と、常に遺言(ゆゐごん)しおきて侍るなる」と聞ゆれば、君もをかしと聞き給ふ。人々、「海竜王の后になるべきいつきむすめななり。心だかさ苦しや」とて笑ふ。

かく言ふは播磨の守の子の、蔵人(くらうど)より今年かうぶり得たるなりけり。

 かく言ふは播磨の守の子の、蔵人(くらうど)より今年かうぶり得たるなりけり。(供人)「いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし。さてたゝずみ寄るならむ」と言ひあへり。

(供人)「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。

 (供人)「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひいでて、古めいたる親にのみ従ひたらむは」「母こそゆゑあるべけれ。よき若人、わらはなど、都のやむごとなき所々より、類(るゐ)にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ。なさけなき人なりてゆかば、さて心安くてしも、え置きたらじをや」など言ふもあり。

君、「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。

 君、「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。そこのみるめもものむつかしう」など宣ひて、たゞならずおぼしたり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたる事好み給ふ御心なれば、御耳とゞまらむをや、と見奉る。

(供人)「暮れかゝりぬれど、おこらせ給はずなりぬるにこそはあめれ。

 (供人)「暮れかゝりぬれど、おこらせ給はずなりぬるにこそはあめれ。はや帰らせ給ひなむ」とあるを、大徳「御ものゝけなど加はれるさまにおはしましけるを、こよひはなほ静かに加持などまゐりて、出でさせ給へ」と申す。「さもある事」と皆人申す。君もかゝる旅寝もならひ給はねば、さすがにをかしくて、(君)「さらば暁に」と宣ふ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第34回 「若紫」より その1
収録日 2003年5月29日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成15年春期講座

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