アスリートに聞く-吉原知子(バレーボール)
本気を見せる
バレーボール日本代表として、オリンピックに3回出場した吉原知子さん。 2004年のアテネオリンピック予選では、モチベーションの低くなっていた日本チームを率いて五輪出場を勝ち取りました。日本リーグ・Vリーグでも、所属した全てのチームで優勝するという華やかな記録を残しています。 現在はスポーツコメンテーターとして活躍されている吉原さんに、バレーボールの魅力や、日本・海外でプレーされてきた体験にまつわるお話などをお聞きしました。
1)バレーボールとの出会い
再生時間 約24分間
- 雪が多かったので三歳からスキーをしていた。小さいころから負けず嫌いだった
- 小学校のころは男の子に混じって野球やドッチボールなどいろいろなことをした
- 中学のバレー部が全国制覇をしていたので、自分も挑戦してみようと思った
- 高校二年生ごろから技術的な上達や体力の向上を実感できるようになった
- 海外と語学に興味があったので、フライトアテンダントになりたかった
- 不安の気持ちが強かったが三年間は何が何でもがんばろうと日立の入団を決意した
2)指導者について
再生時間 約16分間
- 厳しい監督の練習はチームがひとつにならないと乗り越えられない
- 「この監督についていけば、強く、上手く、勝てるようになる」と思った
- 勝ったときにみんなで喜べるのが団体競技の魅力
- 海外の選手たちの有言実行型文化
- 押し付ける練習は身にならない
- 海外でのプレー生活でバレーに対する考え方が変わった
- 実業団に入ったばかりのころは勝利至上主義で、バレーボールの楽しさや良さを深く理解していなかった
3)バレーボールとの付き合いかた
再生時間 約13分間
- 食事の面も意識するように指導してくれたアーリー・セリンジャー監督
- 技術、身体のキレ、精神的な充実度も一番高かったのは30歳くらいの時
- 食事に気を使わないと怪我をしやすくなってしまう
- 現役最後は膝の怪我のため思うようなパフォーマンスを出すことができなかった
- 高校のときは甘いものを食べたかった
- 中学、高校で一緒にバレーボールをした仲間は今でもママさんバレーをやっている人が多い
- ママさんバレーの影響でバレーボールを始めた子供が多く、地域スポーツとしてバレーボールが根付いている
4)代表として、キャプテンとして
再生時間 約14分間
- モチベーションを上げることをまず考えたアテネオリンピック
- 自分の本気をみせるために、朝一人で練習を始めた
- 自信を持つための裏付けにした練習量
- がんばり方が分からなかった選手も次第に変わっていった
- アテネ、北京、ロンドンオリンピックを通じて、約半数が同じメンバーで、中心選手が変わらなかったのが、銅メダルという結果に結びついた
5)大学院に行ったことについて
再生時間 約7分間
- 貴重な経験を自分の言葉で説明できるようになるために
- さまざまなトレーニングについて効果を科学的に分析したかった
- なぜ女性がトップの指導者にはいないのか
- 特に勉強になったのは栄養学
- トレーニングと月経の関係
- 海外の選手は出産をきちんと計算している
6)こどもを教えること
再生時間 約20分間
- 選手寿命とセカンドキャリア
- 子供にバレーボールを教えるときに気をつけていること
- ボールをつなぐチームプレーの楽しさ、すばらしさを伝えることを第一に考えている
- 人によって上手くなるスピードが違う
- 小さいときはいろいろな種類の競技をやることが大事
7)東京オリンピック
再生時間 約4分間
- 東京オリンピックの誘致について
- 自国で行うオリンピックは競技者としても格別であり、支える、観るほうも貴重な体験
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