競泳日本代表 平井伯昌ヘッドコーチに聞く
「選手たちには、自分の可能性にチャレンジしてほしい」
競泳日本代表ヘッドコーチの平井伯昌(ひらい・のりまさ)さん。数々のオリンピックメダリストを指導・輩出したことでも知られています。その平井コーチに、「選手を指導する心構え」や「チームづくりの秘訣」などをお聞きしました。
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。
小学1年生の頃に水泳を始め、高校時代にアルバイトで子どもたちに水泳コーチをしたことがきっかけで、指導することへの興味を持つ。大学卒業後、水泳指導者となり、北島康介や萩野公介など、数々の選手をオリンピックに送り出し、メダルを獲得した。
1. 水泳競技との出会い(約11分間)
高校時代に知った「指導者として悩む」という体験が礎に
インタビューピックアップ!
- 水泳をはじめたきっかけは、肥満児にならないため
- 子供のときの夢は「山手線の運転手になること」
- 高校時代、水泳コーチのアルバイトで指導の魅力に気づく
平井:進学校で学校の水泳部を辞める時期が早かったので、高校2年生からまたスイミングクラブに通いだしました。
3年生になると授業があまりなくなったので、アルバイトで子どもたちのコーチをやったんです。それが、指導者になるきっかけだったんじゃないかなと、自分では思います。
自分の練習をする前に、小さい子どもたちの指導をしていたのですが、その時に自閉症の子どもたちのクラスを任されたことがあったんです。自閉症のお子様を3人預かっていたのですが、ちょっと横を見ている間にどこかへいなくなってしまったりして、あの子たちをどのように指導して良いのか、どうしたらいいのかと悩みました。そのことがそもそもの指導者を目指したきっかけのような気がします。
インタビューピックアップ!
- 全国大会の競技には出場できなかった中学・高校時代
- 早稲田大学の水泳部に入る
- 選手同士だと実力の違いは見えづらい。コーチとしての視点が大切
自分が選手として、他の選手を見ている時は、それほど実力の違いは分からなかったんです。
「ああ、あの人は速いなあ」「素質あるんだろうな」と思うぐらいで、それに比べて自分はちゃんと練習してないからダメなんだろうとしか思わなかったんです。つまり、自分が選手だから、相手のことを客観的に見ていなかった。
だから、コーチになってから初めて見えた「選手同士の実力の差」というのが、自分が選手の時は見えていませんでした。
僕は練習を途中で諦めたりするような選手ではありませんでしたし、努力をするといったメンタル面では、他の選手との差は感じませんでした。ただ、「持って生まれた素質」というか「いくら努力しても届かないもの」の違いがあることは、自分が選手である間はわからないんです。
マネージャーになって、オリンピックを狙っているような選手と自分のことを、コーチの視点として見比べてみると、やはりいくら努力しても得られない素質や才能というものがあるのだということに気がついたのです。びっくりしました。一流の人に対するジェラシーというのが、僕には全くなかったので、そういう違いが見えたんだと思います(笑)。
2. 一流選手の才能の見え方 ―単純な動作―(約10分間)
マネージャーになりたての僕をやる気にさせたもの
インタビューピックアップ!
- 大学2年生の時、水泳部のマネージャーに
- 選手たちの才能が見えるようになる
- 単純な動作に才能の差が現れる
平井:早稲田大学水泳部のマネージャーになった時に、1つ上の先輩2人の泳ぎを見て驚きました。自分からしてみたら、普段はちゃらんぽらんだなと思っていた先輩方だったんですが、例えばクロールだったら、手を水中に入れる時も水しぶきが立たないんです。足もただ動かしているだけのように見えて、ちゃんと水を後ろに蹴っている。なめらかな感じですーっと進むんですね。他の選手の泳ぎと比べると、全く種類の違う泳ぎ方だったので、「この人たちには才能があるんじゃないか」「努力したらものすごく速くなるんじゃないか」と思ったんです。
幼稚園の子どもでも、初めてバタ足をやらせてみると、進みが良い子もいれば、全然進まない子もいます。腕のかきよりも足の蹴りというのは単純な動作なので、そういったものに才能の差が現われてしまうのかもしれません。
ですが、水泳の場合は、水(プール)が日常的にあるわけではないので、後天的な要素もかなり大きいとは思います。
インタビューピックアップ!
- 奥野景介選手のオリンピック出場を機にモチベーションが高まる
平井:マネージャーになったばかりの頃は、僕だけが違う立場で、選手から「こんなに疲れたのはお前のせいだ」なんて言われたりして(笑)、寂しい感じがして、嫌で嫌で仕方ありませんでした。夜は遅くまで資料作りをしなければいけませんでしたし。ところが、大学3年(1984年)の6月にオリンピック選考会があり、そこで今は早稲田大学水泳部の監督をやっている奥野君が選手に選ばれたんです。
自分には才能がないので、たとえ選手だったとしてもオリンピックなんて考えも及ばないですけれど、マネージャーやコーチという立場になったら、そういうオリンピックの喜びを味わうことができるんだな、とその時思いました。それから俄然やる気が出て、マネージャーの仕事に熱中していきました。コーチや、僕より1つ下のマネージャーと一緒に、古いトレーニングメニューを見直したり、ウェイトトレーニングの方法について話し合ったり、工夫してやっていくのがどんどん楽しくなっていきました。
あとは、先輩に対しての言い方を考えたり、あるいは、あまのじゃくなんだけど才能のある後輩に、どういう声を掛けたら頑張るのか、という効果的な言葉の使い方を当時から考えていましたね。
インタビューピックアップ!
- データ分析で日本学生選手権の結果を的中させたことが自信につながる
聞き手:初めてマネージャーをやっていく中で、やりがいを感じ始めた出来事はありますか?
平井:やはり奥野君のオリンピック出場が大きかったですが、もう一つ、1984年の日本学生選手権の時に、僕は他の学校や自分の大学の戦力分析をしました。そして、角間さんというコーチに「400m自由形リレーで早稲田が優勝しますよ」って言ったんです。そうしたら「お前バカ言うな。いくら有望な一年生が入ってきたからって、そんなに簡単にいくわけないだろう」と言われたんですが、第1レースからぶっちぎりで優勝したんですよね。
前年までは弱かったのが、それがだんだん強くなって優勝して、「もしかしたら僕はマネージャーとして少しは力になっているのかな」と思えたことがありました。
3. コーチの仕事が面白くなる(約11分間)
時代とともに変わるトレーニングの考え方
インタビューピックアップ!
- 強化トレーニング方法を研究しはじめた頃
聞き手:先日練習の様子を見せていただきましたが、練習内容は泳ぐだけではなくいろいろありますよね。そういった泳ぎ以外のトレーニングは、当時からすでに始めていたのですか。
平井:そうでもないんですけど、ただウェイトトレーニングが好きな先輩コーチがいまして。「平井、筋肉は付けてから落とすんだ」なんて言っていて、当時は「何を言っているのかな」と思っていたんですが、その方がかなりハードなウェイトトレーニングを選手に課していたんですね。選手たちからは僕に「俺の練習は大目に見てくれ」とか「ちょっと減らしてくれ」なんて内緒で頼まれたりするほどでした。
その先輩が「今やっている普通の水泳強化トレーニングは、短距離向きではないのでは?」とよく言っていたんです。当時はまだ今のようにフィンを付けた練習などはしていませんでしたが、その頃から「強化トレーニングの方法をもっと変えていこう」「陸上トレーニングを取り入れよう」と先輩コーチと話し合ったりして、すごく興味を持ちながら練習マネージャーをしていたと思います。
インタビューピックアップ!
- 環境の変化に応じて変わる選手の層とトレーニング
平井:「たくさん泳げば強くなる」という信仰はありますけれど、北島選手が中学・高校生だった時には、僕は「良いフォームで速いタイムで泳ぐ」ということをテーマにし、泳ぐ距離は抑え目にしていました。学校の授業があったりするとなかなか量的な練習ができないということもありましたが、それよりも狙っている種目と距離(例えば100m平泳ぎ)について、通常のペース以上で泳いだ時、どのくらい泳げるかという質的な練習を考えていました。
今のスイミングスクールは一年中泳げるじゃないですか。そうすると体力向上のため、体を強くする目的で、子どもたちは水泳をするわけです。だから、技術重視のトレーニングになってしまっていて、体力の方は後から付けなくてはいけなくなっています。
それに比べると、昔のスイミングスクールは一年のうち半年も泳げない。亡くなってしまいましたが古橋廣之進さんや、早稲田大学の山中さんのような、相撲取りかというような、そもそも体力のある方が水泳をされていたんですね。そういう人が水の中でどうやって力を伝えるかというのが、当時のトレーニングの考え方だったと思うんです。
こういった水泳環境の変化に応じて、自然と僕たちがピックアップしている選手の層も変わってきています。また、どういったタレント(才能)に短距離競技をやらせるかというのも、日本だとまだ、体力や筋力のある体の大きい選手にというコンセプトですが、外国の選手やコーチを見ているともっと進んだコンセプトがある感じがしますね。
インタビューピックアップ!
- コーチから注目されやすい子と、後になってから伸びる子
平井:子どもの時期に一生懸命に練習させると、どうしても、器用で小柄な子が先に延びるんですよ。だから、大きくて手足の長い子どもよりも、小柄で器用な子の方が頑張っているように見えるので、指導者はそういう子に注目してしまうことがあります。
僕のところに上田春佳選手(2012年ロンドンオリンピック女子400mメドレーリレーで銅メダル獲得)がいたんですけど、彼女は小さい時は手足が長くてなかなかスピードが上がらなかったりして鈍かったんですよ。だから、成長の早熟な子が先に芽が出るということがありますが、最終的に伸びていく子は違ったりする場合があります。
もちろん早く伸びれば、その分意識も早く成長するので、我慢するとか深く考えるといった心技体の心の部分は鍛えられるとは思うんですが、やはり最終的な泳ぎのピークはどこなのかと考えると、いろいろなピックアップの仕方があるなと思います。
4. 一流選手を育てる(約5分間)
トレーニングの基礎の基礎
インタビューピックアップ!
- レベルの高い選手を育てる難しさ
- 寺川綾選手のコーチを引き受けた時
聞き手:寺川綾選手(2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎと400mメドレーリレーで銅メダル)が、平井コーチに付いて基礎の基礎から教わり直すことができたとおっしゃっていました。トレーニングの基礎の基礎とはどういうものなのでしょうか。
平井:アテネオリンピック(2004年)の時、彼女は200m背泳ぎで代表だったので一緒に行ったんです。それでその後もう一度僕のところに来たいと言ってきた時には、彼女は日本選手権(2009年)の100m背泳ぎで優勝していたので、もう200mは泳ぎたくないと言うんですよ。最初は100mも泳ぎたくないと言っていましたね。「ダメだよお前、優勝者が200mを棄権するなんて、そんなことできるわけないだろう」と言ったら「先生は嘘つきですね」と言われまして。というのも「100mで優勝したら200mには出なくてもいいよ」なんて言ったことがあったんですね。
そうしたら彼女は、僕が前に教えていた中村礼子選手に「平井先生が時々嘘をつく」って電話したらしいんです。その時の返答がイカしていて「綾ちゃんね、だまされて良い結果が出るんだったら、だまされた方がいい時だってあるんだよ」と言われたんだそうです。「礼子はなかなか良いことを言うな」と思いましたよね(笑)。
僕が思うに寺川選手は結構ちやほやされてきたような感じでしたね。自分の才能を見てくださいというよりは、私はこの部分だけをやりたいのでそこだけコーチをお願いしますって、一部分だけを任された感じがした時はすごく嫌でした。担当してからも「好き嫌いでやってるやつは俺知らないよ」と言って、結構最初は冷たくしていたと思います。
インタビューピックアップ!
- 選手には自分の可能性にチャレンジしてほしい
平井:好き嫌いとか物事の判断ではなくて、自分の持っている可能性にチャレンジしていくような「ものの考え方」を持ってもらいたいという思いがすごくありました。トレーニングの前にそういった「ものの考え方」を分かち合えている、共通の思いがあるということがトレーニングの基礎の基礎になるんだと思います。
小さい頃からずっと見ているような選手と比べて、高校生や大学生ぐらいから預かったりするレベルの高い選手には、ものを言いにくいとか、怒りにくいということも実はあると思うんです。そういった腫れ物に触るような人間関係だったり、僕の考えていることと選手の考えていることが食い違ったりしていたのでは、オリンピックでメダルを狙おうとなった時に良い結果が出ないんですよ。
5. 東京スイミングセンターに就職する(約13分間)
一流コーチになる前にやっていたこと
インタビューピックアップ!
- 就職活動の末、「やりたいことをやろう」と決心
- 東京スイミングセンターに就職
- 長年受け継がれてきた「小柳方式」を研究する
聞き手:一流コーチになる勉強というのはなかなかないとは思うのですが、一流コーチになるために一番役に立った経験は何だったのでしょうか。
平井:僕が卒業した早稲田大学も就職した東京スイミングセンターも、トレーニングの基本的なやり方が一緒で「小柳方式」というものでした。OBの小柳清志さんという方が早稲田大学水泳部の監督だった時に、山中毅選手という大先輩をメダリストにしたやり方を元に考案されたもので、僕が大学生でマネージャーをやっていた頃から部室の棚に何十年分もの資料があって、時々引っ張り出してきては見ていたんです。
その後、東京スイミングセンターに就職したら、簡単な冊子でしたが「小柳方式」としてまとまったものがあって、それを読んだところ、大学生の時に先輩マネージャーから教わるがままにやっていたことが理路整然と解説されていてとても驚きました。オリンピック選手を生み出したいと意気揚々とやって来た僕でしたが、やはりプロのコーチというのはマネージャーとはちがうんだな、これは相当きちんとやらないとダメだなと思い、そこから「小柳方式」を研究し始めたんです。
冊子を読んでも分からないことについて先輩コーチに聞くと、「それは小柳さんがなるって言ってるからなるんだ」と言うんですね。それが僕としては納得がいかなくて、残っているいろいろな資料を家に持って帰っては、方程式みたいなものが本当にその通りになるのか計算し直したりしていました。
インタビューピックアップ!
- 青木剛さん(元競泳日本代表監督)に教わったこと
平井:コーチになる勉強として一番大きかったのは、今はJOCの専務理事になられている青木剛さんという当時のヘッドコーチに付いて勉強できたことだと思います。僕は就職してから3年間も選手を持っていなかったんですけれど、その間に青木さんから学ぼうといいますか、盗むぐらいの気持ちで付いていました。彼からいろいろな刺激を受けながら指導に当たるかたわら、出社の何時間も前に図書室へ行って調べ物をしたりして、忙しかったですが楽しくてしょうがなかったですよね。
僕が選手担当をするようになったのも、青木さんが水泳連盟の競泳委員長になったことがきっかけでした。青木さんの後任に抜擢されて上級クラスに入ることになったんですね。その時以来長年に渡って青木さんには悩みを相談したりして、今でも交流が続いています。
青木さんは僕に色々なことを教えてくれましたが、お酒の席で話をする時に、司馬遼太郎さんの本が大好きな方だったので、水泳の話をするのに歴史の話から入るんですよ。僕はまず尊敬する先輩の「考え方」を学びたいという思いがあったので、先輩の読んでいる本を読まないと話に付いていけないなと思い、本も紹介してもらって読んでいました。青木さんに、人はなぜ本を読むのか知っているかと聞かれて分からないですと言うと、「織田信長に会いたいと思ったって会えないだろ。だから本を読むんだよ」「日の下に新しきものはなし」とおっしゃっていました。いろいろな知識を人から学んで自分のものにしなさいと言っていたんですね。
「小柳方式」にしても、小柳さんは水泳のインターバルトレーニングのはしりの方ですから僕は会ったことがない訳ですが、その方がなぜこういう練習をやったのかという話を青木さんを通して聞くことができるんですよね。自分一人ではせいぜい3、40年しか指導できる時間はないですが、そういう風に先輩方から知恵や考え方を吸収できれば、何十年も苦労してきた先人の二世代とか三世代分を丸ごと勉強できるということを、青木さんは僕に伝えたかったんじゃないでしょうか。
6. 平井コーチのトレーニング理論が生まれるまで(約12分間)
平井コーチのトレーニング理論が生まれるまで
インタビューピックアップ!
- 鈴木陽二(北京オリンピック競泳代表チームヘッドコーチ)さんのこと
- 国内外で新しいやりかたを模索する
平井:「小柳方式」を研究していた3年の間には、そうは言ってもこれは昔のやり方でちょっと古いんじゃないのかなと思ったこともありました。
ソウルオリンピック(1988年)の前年のことでしたが、青木さんが、鈴木大地選手のコーチだった鈴木陽二さんのことを評して「陽ちゃんは考えが自由だ。俺みたいなのは小柳の洗礼を受けてるから変えようにも変えられないところがある。強烈な師匠がいてその人からの教えを守っている自分よりも、陽ちゃんは考えがフレキシブルで良いんだ」と言うんですよ。そうなのかなと思って、それで鈴木大地選手が所属していたセントラルスポーツへ行って、彼が金メダルを獲る前の練習を見せてもらったんです。あとアメリカのミシガン大学にも練習を見に行きました。
外へ見学に行ってみると、よく考えてみれば基本的なことは一緒なんですけれど、ちょっと違った科学的なトレーニングをやっているように当時は見えたんですね。それからもっと外国のやり方を取り入れなきゃダメだと思っていろいろと試しました。「小柳方式」のような伝統的なやり方をずっとしていても良い選手を輩出できないんじゃないかといった焦りもあったのかもしれませんね。
けれど何年かすると結局は「小柳方式」に戻っていくんですよ。トレーニングのやり方は違っても、「ものの考え方」は変わっていないということに気付くんですね。
インタビューピックアップ!
- 「小柳方式」平井解釈
平井:結局、僕が持って帰ってきたアメリカのやり方も完璧ではなくて、中長距離の選手には合うけれど短距離の選手には合わないというようなことが分かってきて、これは鵜呑みにしてはいけないなと思いました。そして自分なりの試行錯誤をしていた時に北島選手と出会ったんです。それでいろいろと悩んで青木さんに聞いてみたら、「小柳方式」は山中毅選手を強くする方法だったんだ、だからみんなに当てはまるわけがないんだよとおっしゃったんです。「なるほど、それなら今まで考えてきたことを北島選手のやり方に合わせて応用すれば良いんだ」と思ったら、何か頭の中が晴れてきたんですよね。
万人に合うようなトレーニングはありますけれど、それは当たらずとも遠からずなものです。北島選手には合うけれど、他の選手には合わないというものがありますよね。それぞれのやり方があるんです。そうやってトレーニングのやり方は新しくなるけれど、人間の体はそんなには変わらない。生理学的な基礎とか、どういうふうにトレーニングを考えていくのかという「ものの考え方」は変わらないんですね。「小柳方式」平井解釈で良いんだとなったんです。
欧米のやり方の方が優れていて日本のやり方は古いと言われていたのが、最近では遜色なくなりましたね。水泳に関して言えばむしろ今は日本のやり方をみんなが学びたいと言ってくるようになりました。
7. 北島康介選手の成長を見守る(約7分間)
北島康介選手の成長を見守る
インタビューピックアップ!
- 水泳に賭けてきた北島選手との歩み
平井:僕は北島選手が中学2年生の時から担当していました。3年生の終わりになって本人だけではなく親御さんも含めて話をしまして、水泳に賭けてオリンピック選手を目指して頑張っていくということで、塾もやめて東京スイミングセンターからすぐ近くの本郷高校に進学したんです。そして高校3年生でシドニーオリンピック(2000年)出場、アテネオリンピック(2004年)が大学4年生の時でした。小学1年生の時も僕が見ていたことがあったので、その頃から考えるともうだいぶ大人になったなという感じでしたよ。
彼が社会人になってプロになる時に、「中学生の頃からオリンピックを目指すと約束してやってきたことは一旦ここで終わりだから、もしまた僕のところでやりたかったら言ってこい」と区切りをつけたんです。僕も後進の選手を育てていたということや、自分としてもちがうフェーズに行きたいという思いがあったので。今後は僕が彼を引っ張っていくような感じではなくて、対等にお互い尊重しつつやっていけたらいいなと思っていたんです。とはいえ、途中2005年と2006年の日本選手権で負けたりして波乱はありましたけれど。北京オリンピック(2008年)までの4年間はそういう風に取り組んだんですね。だから北京オリンピックで彼が金メダルをまた獲った時はだいぶ成長が感じられました。22歳だった4年前ですら「あの時は子供だったな」と思えたほどですね。
インタビューピックアップ!
- コーチとしてアスリートの成長をはかる物差しをもつ
平井:北島選手のピークまでのサイクルを一回終えてから後進の選手に接することができたことで、僕の中にアスリートの成長をはかるひとつのスケール(物差し)のようなものができたと思います。
例えば、寺川綾選手が来た時に、「あ、北島選手のこのへんの時の感覚だな、そしてこの後はこういう風になるんだろうな」とかいうのが想像つくわけです。寺川選手や上田選手は小学生の頃から僕が見ていたので、彼女たちのサイクルが終わればまたその分の「スケール=物差し」ができて、それをまた後進の選手に当てはめて考えることができるといった具合です。
また、競技レベルやスキルだけでなく「ものの考え方」の成長度合いについてもそのスケールに当てはめて考えられると思います。例えば「アスリートとしてのスキルは北島選手のこのへんに当たるけれども、オリンピックでメダルを狙うとなると『ものの考え方』についてはもう少し前から始めないと伸びないんじゃないか」とか。記録や競技レベルに満足してしまうことなく、今もう少しそれがないと多分後で困っちゃうんだろうなということが想像できるようになるんです。だから年を取るのも悪くないですよね。
8. 選手同士で成長することの大切さ(約12分間)
選手同士で成長することの大切さ
インタビューピックアップ!
- 選手からの問いにすべて答えなくていい
- 選手同士でともに成長する場をつくる
平井:僕の場合は、北島選手がいて同学年に中村礼子選手、1学年下に三木二郎選手、年が離れて上田春佳選手というように、年齢が上で成績も経験も豊かな選手と若い選手とを組み合わせて練習させていました。若くて有望な選手に、トップでやっている選手の姿を見せることが目的です。言葉で伝えるよりも見せる方が分かりやすいことがあると思います。だから、「あの選手にはこいつだ」といったひらめきがあると、その選手同士を一緒にトレーニングさせるようにしていました。
インタビューピックアップ!
- みんなの中で成長することの大切さ
平井:来週から合宿に行くのですが、学生に寮の部屋割りをやらせると同じ学年や同じ種目同士でくくりたがるんですよね。「そういう時は先輩やトレーナーに色々相談ができて、いいガス抜きの機会にもなるんだぞ」と、萩野選手や山口選手も含めて先日全員に説教をしたところです。
もちろんトップ選手は個々に合わせた対応でいいのですが、ジュニアの時にはもっとみんなの中で成長していくことが大切なんです。例えば会社に入って、私は1対1で話してくれないと分かりませんと言われても困ってしまう。僕らが大学生の時は、先輩に相談していたと思うんですよ。1学年でも2学年でも違えば、大人と子どもくらいの差があるように感じたものですよね。今は個々だから、他人に関心がない先輩が多くて意外とそういうのがないですよね。それを変えていかないといけないです。
寺川選手もそうだったんですが、今の若い子たちはおそらく人に相談されることがあまりないんだと思うんです。それがある時、「先生、私は競技会に行くと相談を受けるんです」と言うので「何の相談を受けるの」と聞くと、「ダメだった選手が伸びて良い選手になった象徴みたいに、私はみんなに思われているようで、伸び悩んでいる選手が私に相談してくるんです」と言うんですよ。「それ良いことじゃない」と言いましたよ(笑)。
それで、彼女たちが引退する頃には学生たちから「綾さん、面倒見が良かったので残念です」「ゆかさん、一緒にたくさん練習をやってくれて楽しかった」「春佳さんはすごくいい人です」なんて慕われるようになっていくんですね。レベルが上がってくると、人から相談も受けたりするようになるんでしょうか。そうなってほしいですよね。
インタビューピックアップ!
- 個別の対応に慣れすぎてしまった現代の子どもたち
平井:今、学校や塾などでは個別や少人数のほうが、指導が行き渡ると言いますけれど、僕は違うと思います。1対1でないと話を聞かなかったり、少人数でないと頑張れない子どもたちが増えているんだと思うんです。なぜかと言うと、小さいうちから大人が何したい?と聞いて子どもの言うことを聞きすぎてしまうんです。そうして育てられてきているから他人に関心がないんですよ。自分だけ良ければいいというのではいけないですよね。
「私に合う、合わない」と口にする若い子も多いですよね。「あのコーチと合わないからやめます」とか、就職しても「会社が私に合わないから辞める」なんて言いますよね。そんなことを言っているといつまでたっても誰とも合わないんじゃないかなと思いますよ。僕らの時は、与えられた環境の中でとりあえず頑張ることが努力することだと教わったものです。
だから、東京スイミングセンターでは「パーセンテージの練習」と言うんですが、一人に100%ではなく、この人に80%、あの人に60%といった、大人数で行う、当たらずとも遠からずの練習があります。その中で努力して競争して上がってくるような「日本の社会の良さ」というものがあると思うんです。「俺の練習じゃない、私の練習じゃない」と思っても、頑張る癖を付けておくことが大切です。
9. 自分に打ち克つ(約11分間)
自分に打ち克つ
インタビューピックアップ!
- 寺川綾選手の「失敗の引き出し」
聞き手:寺川選手が、以前は、試合に出る前は、「負けたらどうしよう」とか、「記録が出なかったらどうしよう」と神経質になっていたのが、平井コーチと出会ってポジティブに考えられるようになり、「試合に出るのが楽しくなった」「自分が変わった」とおっしゃっていました。どうしたらそのような指導ができるのでしょうか。
平井:例えば「高地トレーニングに今度行くよ」と僕が言うと、「いや、何年か前に行ったんですけど、その後の大会は全然ダメでした」などと言うんですね。最初は何についても、こういう失敗をしましたという会話がすごく多かったんです。
キャリアが増していくと、成功だけではなくて失敗の引き出しも増えていくんですよ。フレッシュな人であれば、成功したこともなければ、失敗したこともないですが、寺川選手は、調子があまり良くなくて僕のところに来たので、何かつつくと、成功の引き出しを開いて欲しいのに、失敗の引き出しがたくさんあって、それが開いてしまうんです。
だから、「その時はどういうやり方をしたの?」と聞いて、「それなら僕はこういうやり方をするから、そう言わないでやってごらんなさい」と、毎回きちんと説明してチャレンジさせていました。そうすると、その後結果が出たりして、段々と失敗をしたことは言わなくなってきたんです。
こういったことが「トレーニングの基礎の基礎」だと思うんです。本人からしてみたら、ダメな考えを一々直されたと思っているかもしれませんね。担当して翌年(2009年)の日本選手権で、50m、100m、200mで優勝し“背泳ぎ三冠”を達成した時には、「なんで私こんなに速くなっちゃったの!」みたいな感じで、びっくりした顔をしていましたよ(笑)。ベテランほど失敗の引き出しも多いので、それを覆すのに一々付き合っていたということがあります。
インタビューピックアップ!
- 他者との競争から、自分に打ち克つ意識へ
平井:競技レベルを上げるには、人間性の充実や向上も大切だと言いますが、その通りだと思います。僕の印象なのですが、オリンピックでメダルを狙うぐらいになると、選手たちは人に対してすごくおおらかになる感じがします。
北島選手や寺川選手、中村礼子選手もそうでしたけれど、最初はやっぱり競泳ですから「人に勝つ」みたいなところなんです。だから練習中にすごく周りが気になったりして、ライバルや身の回りにいる人たちに対してピリピリしているんですよね。それが、「自分に打ち克つ」「自分の信念」といった自分のやるべきことについて考えるようになっていく。
波が高かったからタイムが出なかったとか、人や何かのせいにするようなことはだんだん言わなくなるんですよね。人との勝負であることには変わりないのですが、自分の内面と向き合うようになっていって、神経を使う部分が変わってくる。そういう変化が面白いなと思って見ています。
基本として、自分に向き合っていくように、人のせいにしたり言い訳をしたりしないようにと教えています。本当は小さい頃からそういった教え方をしておきたい、いや小さい時だからこそやっておかないといけないですよね。 - メダリストになると面倒見がよくなる
10. 水泳選手として伸びるためには(約10分間)
水泳選手として伸びるためには
インタビューピックアップ!
- 優れた選手の活躍も、基本は日常の延長線上にある
平井:伸びる選手は、「物事の優先順位」がはっきりしているんです。学生であれば学生の本分を忘れないできちんとやって、その上で水泳をやっている。水泳だけになってしまうと、ある時期は伸びるかもしれないですが、壁にぶち当たることがあると思います。
学校の先生からも「こんな点数だったらクラブ活動はダメだよ」なんて言われてしまいますよね。遊びに行きたかったら、ちゃんと宿題を終えてから行きなさいと言うのと同じです。自分のやりたいことをやりたいのであれば、他のこともきちんとしなさい、スポーツを伸ばすためにそれが大切なんだよ、という教育は必要ですね。
トップアスリートだからといって何か特別なことをしている訳ではなく、日常でやっていることの延長線上にあるのだと思います。 - 選手を育てる上での男性選手と女性選手の違い
11. 一流選手になるには「当たり前のこと」が大事(約11分間)
一流選手になるには「当たり前のこと」が大事
インタビューピックアップ!
- 練習メニューを公開してみて困ったこと
聞き手:平井さんがコーチをされている姿は、一般の人が見ることはできるのですか。
平井:今は大学生のコーチをしているのですが、ブログで、練習メニューやアドバイスの内容などを書いていたことがありました。ところが、同じ年代を対象にするコーチが見てくれればいいのですが、ジュニアのコーチが真似をするのでやめてしまったんです。
「今、中学1年生なんですけど、平井コーチのやっているようなウェイトトレーニングをやるにはどうしたらいいでしょうか?」といった質問が来たり、北島選手がやっている平泳ぎのテクニックを、そのまま中学生が真似していたりするのを見て、「これはまずいな」と思いました。北島選手が中学生の時にやらせていたこととは違う訳ですよ。
ジュニアのうちにやっておくべきことと、トップ選手の練習とは違うので、そのまま真似されても困るんです。才能のある選手だったらトップ選手の真似事をしても伸びることは伸びますが、それでは頭打ちになってしまう。ジュニアの時期は、一生懸命頑張るとか人の話をちゃんと聞くとか、そういったことを教えておかなくてはなりません。練習メニューを公開するのはいいのですが、間違って解釈されてしまうと困りますね。
インタビューピックアップ!
- 人の話を聞くことやあいさつなど、当たり前のことが大切
平井:毎日どういったトレーニングやアドバイスをしているかというのは、基礎的なことではなく、応用の部分であって、あくまで「うわべ」なんですね。そういったうわべにとらわれがちなのでは、と思うんです。
毎日厳しい練習をすることが大切なのではなく、「毎日厳しい練習を、普通に行うことができるような前提条件」をどうやって作るか、ということがコーチングの基礎になると思います。
例えば、「手の角度が何度でどうのこうの」という練習もあるとは思うのですが、「練習を休んだりする選手がいない」といった、当たり前の前提条件はなかなか伝わらないですね。でも一番伝えたいのはそういうことです。だから本当は伝えていることってあまり面白くないことなのかもしれないですね。人の話を聞くことやあいさつなど、当たり前のことをどれだけ高いレベルでできるかということが実は一番大切です。
インタビューピックアップ!
- トップレベルは大変な練習をリラックスしてやっている
平井:クラスごとでチームを作っているのですが、下のクラスの選手から見ていると、上のクラスの練習は一見楽しそうに見えるらしいんですね。下のクラスは黙って練習しているんですけれど、上のクラスは、苦しいけれども笑いながら練習していたりするので。
ところが、実際に上のクラスに入ってみると、もう最初のストレッチ練習から、全く雰囲気が違うと思うようなんです。それで「今日の練習どうだった?」と聞くと、「ものすごい疲れた」と言うんですよね。
上のクラスの選手は、高い緊張感をリラックスしながら保っているんです。疲れたからと言っていい加減なことをしないで、小さなテクニックを積み重ねながら、一本一本真剣に泳いでいる。そのレベルが下のクラスとは全く違うんですね。僕が「泳ぎを崩すな!」なんて言うことをその通りにやっていればものすごく疲れる訳ですよ。
才能のある選手は、モチベーションも高くて言うこともよく聞くし、コーチが何も言わなくても、自然と頑張ってくれて楽なのではと、もしかしたら思われているかもしれませんが、そういった前提条件を作るのが、実は大変なんだということを本当は伝えたいですね。でもそれはずっと見ていないと分からないことです。
12. これからのビジョン(約9分間)
スポーツを通じて色々な刺激を受けてほしい
インタビューピックアップ!
- 東京オリンピックへ向けて覚悟していること
平井:その時僕は57歳になるのですが、年齢的にも立場的にも、現場だけをやれるとはいかなくなる気がします。選手だけではなく、もちろん後進のコーチを育てたいということもあります。選手を育てるよりも、コーチを育てる方が難しいかもしれません。その他にも、今は想像つかないですが、もっと色々な役割が増えていくと思うんです。
そんな状況の中で、まずはコーチングのパフォーマンスを上げていかなくてはなりません。コーチングは絶対今からでもまだ伸ばせると思っていて、やらなくてはならないことや、やりたいことは決まっています。その時間を潰さないようにバランスを取りながら、色々な役目を引き受けていかなくてはと思っています。
インタビューピックアップ!
- 自分の子どものコーチはできるか
- 子どもたちへのメッセージ
平井:僕はコーチをやっているので、東京オリンピックが来るのをすごく楽しみにしています。小学2年生の時に見た札幌オリンピックは、とても印象に残っています。オリンピックを、若い時に国内で経験できるのは、幸せなことなんだよ、と声を大にして言いたいです。
オリンピックに出場することだけではなく、観戦することを始めとする、色々な関わり方があると思うんです。頑張ることの大切さを知り、一生懸命やっている人を応援すること、そういった体験から、今度は自分自身が頑張れるようになる、ということもあると思います。
これからもスポーツを通じて、ぜひ色々な刺激を受けていってほしいですね。
さまざまな分野に精通し、経験、知識豊富な講師の方々をご紹介します。