戦前期における森永製菓の東南アジアの事業展開
森永製菓の創業者、森永太一郎の海外展開に関する考え方や、東南アジアに展開した戦前期の事業内容を、同業他社の例も紹介しながら、講演しています。
講師:
野秋誠治 一般財団法人森永エンゼル財団理事・主席研究員
目次
- 1.創業者の海外展開に対する考え方
- 2.海外展開のための条件が整う
- 3.海外展開のための調査とその拡がり
- 4.営業拠点の設置
- 5.生産拠点の設置
- 6.アジア太平洋開始後の展開
- 7.進出先での宣伝広告
- 8.強力な協力者
戦前期における森永製菓の東南アジアの事業展開
1.創業者の海外展開に対する考え方
森永太一郎は、海外に発展することは、天職を全うすることであり、国家に尽くすことであると考えていました。
「吾等が天職に対するの途は唯一つである。
・明治製菓の創業者も海外に眼を向けていました。
2.海外展開のための条件が整う
・輸入砂糖関税の引上げと国内砂糖消費税の増税が実施された結果、
3.海外展開のための調査とその拡がり
「思ひ出づれば、明治45年の2月上旬、
4.営業拠点の設置
1924年から営業拠点は具体化していきました。4月にスラバヤ(インドネシア)に南洋出張所、8月に香港出張所を設置、12月には大連に森永製品満州販売会社が創立しました。
5.生産拠点の設置
生産拠点は、1934年に満州に建設した大連工場が最初で、その後、京城工場(1940年)、新京工場(1941年)、天津工場、台南工場(1941年)、屏東工場(1944年)が設置されていきました。
6.アジア太平洋開始後の展開
森永製菓は1942年秋から、ジャワ(インドネシア)、シンガポール、ビルマ(ミャンマー)、タイ、香港、フィリピンなどに合わせて約90名の社員を派遣しました。
7.進出先での宣伝広告
森永製菓は、電車広告、映画宣伝隊等、様々な宣伝活動を東南アジアでも展開しました。
8.強力な協力者
森永製菓に関係した人物の中には、満鉄の初代監事(1905-1915)だった岩下清周、満鉄の社長・総裁を歴任した山本条太郎、満鉄で秘書だった上田恭輔などがいました。
岩下は森永製菓の株式会社化に尽力し、山本は森永製菓の取締役だった時があり、上田は太一郎の在米時代からの友人であった。
コンテンツ名 | 戦前期における森永製菓の東南アジアの事業展開 |
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収録日 | 2018年4月20日 |
講師 | 野秋誠治 |
簡易プロフィール | 講師:野秋誠治(一般財団法人森永エンゼル財団理事・主席研究員) 肩書などはコンテンツ収録時のものです |
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