第2回 「桐壺」より その2
折口信夫の「源氏全講会」の予習について語ってから本文に。三歳になった皇子は袴着の儀式を営むが、母である桐壺は病気で退出され、亡くなる。
講師:岡野弘彦
はじめに
折口先生が使った木版本の『湖月抄本』
折口先生は、『源氏物語』の全講会の前の晩に、その木版本を声に出して読んでいくだけであった。そして朱の筆でテン・マルを打っていく。それが先生の予習なのであった。『万葉集』をはじめ歌集などを講義するときは、先生は予習はしなかった。全部頭に入っているのであろう。『源氏物語』のときだけは前の晩に声に出して読んでいく。講義のときにように声に出して読んでいく。それが予習なのであった。また、例えば日本文学史とか、神道概論とか、民俗学などの講義のときは、前の晩あるいはその前日あたりに少し考えて、小さな紙に ― 私がいる時には、横に長い手帳を使っていたが ― 、そこに七つか八つ項目を書いておく、それだけであった。時には電車の中で考えていて、項目を一つ二つつけ加えることがあった。それで九十分の講義が、多くの場合、実に見事な、今までに話したことのないような、あるいは今までに既に話している問題でも、解いていく解き方が違うのである。
人よりさきにまゐり給ひて
人よりさきにまゐり給ひて、やむごとなき御思ひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御かたの御いさめをのみぞ、なほわづらはしう、心苦しう思ひ聞えさせ給ひける。
かしこき御かげをば頼み聞えながら、おとしめ、きずを求め給ふ人は多く、わが身はかよわく、ものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞし給ふ。
御つぼねはきりつぼなり
御つぼねはきりつぼなり。あまたの御かたがたを過ぎさせ給ひて、ひまなき御まへ渡りに、人の御こころを尽くし給ふも、げにことわりと見えたり。まうのぼり給ふにも、あまりうちしきる折り折りは、打ち橋渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつゝ、御送り迎への人のきぬの裾たへがたく、まさなき事もあり。又ある時には、えさらぬ馬道の戸をさしこめ、こなたかなた心をあはせて、はしたなめわづらはせ給ふ時も多かり。事にふれて、かず知らず苦しき事のみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとより侍ひ給ふ更衣の曹司を、ほかに移させ給ひて、うへつぼねに賜はす。その恨み、ましてやらむかたなし。
この御子みつになり給ふ年
この御子みつになり給ふ年、御はかまぎのこと、一の宮の奉りしに劣らず、くらつかさをさめどのの物を尽くして、いみじうせさせ給ふ。それにつけても世のそしりのみ多かれど、この御子のおよずけもておはする御かたち心ばへ、有り難く珍しきまで見え給ふを、えそねみあへ給はず。ものの心しり給ふ人は、かゝる人も世に出でおはするものなりけりと、あさましきまで、目をおどろかし給ふ。
その年の夏、みやす所はかなき心地にわづらひて
その年の夏、みやす所はかなき心地にわづらひて、まかでなむとし給ふを、いとま、さらに許させ給はず。年頃、つねのあつしさになり給へれば、御めなれて、なほしばしこゝろみよ、とのみ宣はするに、日々に重り給ひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君なくなく奏して、まかでさせ奉り給ふ。かゝる折りにも、あるまじき恥ぢもこそ、と心づかひして、御子をばとどめ奉りて、しのびてぞ出で給ふ。
限りあれば、さのみもえ止めさせ給はず
限りあれば、さのみもえ止めさせ給はず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、いふかたなく思ほさる。いとにほひやかに美しげなる人の、いたう面やせて、いとあはれと物を思ひしみながら、ことに出でても聞えやらず、あるかなきかに消え入りつつ物し給ふを、御覧ずるに、きしかた行く末おぼしめされず、よろづの事を泣く泣く契り宣はすれど、御いらへもえ聞え給はず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色にて臥したれば、いかさまにと、おぼしめまどはる。てぐるまの宣旨など宣はせても、また入らせ給ひて、さらにえ許させ給はず、(帝)「限りあらむ道にも、おくれ先だたじと契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」と宣はするを、女も、いといみじと見奉りて、
(更衣)「かぎりとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思う給へましかは」、と、息も絶えつつ、聞えまほしげなる事はありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむ、とおぼしめすに、(更衣家人)「けふ始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、こよひより」と聞え急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせ給ふ。
御むね、つとふたがりて
御むね、つとふたがりて、つゆまどろまれず明しかねさせ給ふ。御使ひの行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなく宣はせつるを、(更衣家人)「夜中うち過ぐるほどになむ、絶えはて給ひぬる」とて泣きさわげば、御使ひも、いとあへなくて帰り参りぬ。
きこしめす御こゝろまどひ
きこしめす御こゝろまどひ、なにごともおぼしめし分かれず、こもりおはします。御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどに侍ひ給ふ例なき事なれば、まかで給ひなむとす。なにごとかあらむともおぼしたらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、うへも御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見奉り給へるを。よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし。
かぎりあれば、れいの作法にをさめ奉るを
かぎりあれば、れいの作法にをさめ奉るを、はは北の方、「同じけぶりにのぼりなむ」と、亡き焦れ給ひて、御送りの女房の車に慕ひ乗り給ひて、をたぎといふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたるこゝち、いかばかりかはありけむ。(母)「むなしき御からを見る見る、なほおはするものと思ふがいとかひなければ、灰になり給はむを見奉りて、今はなき人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしう宣ひつれど、車よりも落ちぬべうまろび給へば、「さは思ひつかし」と、人々、もてわづらひ聞ゆ。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第2回 「桐壺」より その2 |
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収録日 | 2001年5月17日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
講座名:平成13年春期講座 収録講義音声著作権者:國學院大學院友会 |
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