源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第3回 「桐壺」より その3

和歌の訳についての話をし、「桐壺の巻」の中で一つの山場の場面である本文に。亡き更衣の葬送が行われ、帝やゆげひの命婦が弔問に訪れる。

はじめに

『万葉集』に歌謡風の訳をつけるこころみ

東歌とか防人歌などは、同じ『万葉集』でも都の創作歌人たちの作品とはちょっと感じが違ってくる。こういう東の人々の生活の中で歌われていた民謡的な作品、あるいは民謡的な作品が身についているから、そこから流れ出るように歌われてきた防人歌のような作品は、散文で訳するよりも、ちょっと時代を近づけた、新しくした歌謡の形で訳するのが面白いのではないかと思う。時に七五七五七五七五の今様の形、あるいは五七五七の四連か五連の形というふうな、そのとき、そのときで気分によって多少形は違う。きっと、訳したものを見ていただくと、いとも簡単に訳していったように読んでくださるだろうと思う。もちろん、そのように読んでいただけるのが一番ありがたいのだが、しかし、その形にするまでには、時に自分の作品を創作するよりも苦心が要る。

 「鈴が音の 早馬駅のつつみ井の 水を賜へな。妹が直手よ」(万葉集巻十四・三四三九)

    りんりんと ひびきおこりて
    鈴が音の 早馬の朝出
    つつみ井の 湧井の水を
    をとめごよ 我にたまへな
    その手もて 結びたまへな

うちより御使ひあり、三位のくらゐ贈り給ふよし

 うちより御使ひあり、三位のくらゐ贈り給ふよし、勅使きてその宣命よむなむ、かなしき事なりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかずくちをしうおぼさるれば、いまひときざみの位をだにと、おくらせ給ふなりけり。これにつけても憎み給ふ人々おほかり。物思ひ知り給ふは、さまかたちなどのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく憎みがたかりし事など、今ぞおぼし出づる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなう、そねみ給ひしか。人がらのあはれになさけありし御こゝろを、うへの女房なども、恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かゝる折りにやと見えたり。

はかなく日ごろすぎて、のちのわざなどにも

 はかなく日ごろすぎて、のちのわざなどにも、こまかにとぶらはせ給ふ。ほどふるまゝに、せむかたなう悲しうおぼさるゝに、御かたがたの御とのゐなども、絶えてし給はず、ただ涙にひぢて明かし暮らさせ給へば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。

「なきあとまで人の胸あくまじかりける、人の御おぼえかな」

「なきあとまで人の胸あくまじかりける、人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などには、なほ許しなう、宣ひける。一の宮を見奉らせ給ふにも、若宮の御恋ひしさのみ思ほしいでつつ、したしき女房、御めのとなどを遣はしつゝ、ありさまを聞こしめす。

野分だちて、にはかに肌寒き夕暮れのほど

 野分だちて、にはかに肌寒き夕暮れのほど、つねよりもおぼし出づる事多くて、ゆげひの命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせ給ひて、やがてながめおはします。かうやうの折りは、御あそびなどせさせ給ひしに、心ことなる物の音をかき鳴らし、はかなく聞え出づる  言の葉も、人よりは異なりしけはひかたちの、面影につと添ひておぼさるゝにも、やみのうつゝにはなほ劣りけり。
 命婦かしこにまかでつきて、かど引き入るゝよりけはひあはれなり。やもめずみなれど人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひたてて、めやすき程にて過ぐし給ひつる、やみにくれて伏し沈み給へるほどに、草も高くなり、野分にいとゞ荒れたるこゝちして、月かげばかりぞ、やへむぐらにも障らずさし入りたる。
 南面におろして、はゝ君もとみにえ物も宣はず。(母君)「今までとまり侍るがいと憂きを、かゝる御使ひの、よもぎふの露わけいり給ふにつけても、いと恥づかしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく泣い給ふ。(命婦)「『まゐりてはいとゞ心苦しう、心ぎもも尽くるやうになむ』と、内侍のすけの奏し給ひしを、もの思う給へ知らぬここちにも、げにこそいとしのびがたう侍りけれ」」とて、やゝためらひて、仰せごと伝へ聞ゆ。

しばしは夢かとのみたどられしを

(命婦)「(主上)『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひしづまるにしも、さむべきかたなく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひ合はすべき人だになきを、しのびては参り給ひなむや。若宮の、いとおぼつかなく、つゆけきなかにすぐし給ふも、心ぐるしうおぼさるゝを、とく参り給へ』など、はかばかしうも宣はせやらず、むせかへらせ給ひつゝ、かつは人も心よわく見奉るらむと、おぼしつゝまぬにしもあらぬ御けしきの心苦しさに、うけたまはり果てぬやうにてなむ、まかで侍りぬる」とて、御文たてまつる。

「目も見え侍らぬに、かくかしこき仰せごとを光りにてなむ」

(母)「目も見え侍らぬに、かくかしこき仰せごとを光りにてなむ」とて見給ふ。
 (主上)「ほど経ば少しうち紛るゝ事もやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきは、わりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつゝ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを、今はなほ、昔の形見になずらへてものし給へ」など、こまやかに書かせ給へり。

 (主上)「みやぎのの露ふきむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」

とあれど、え見給ひはてず。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第3回 「桐壺」より その3
収録日 2001年5月24日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成13年春期講座

収録講義音声著作権者:國學院大學院友会

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