源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第13回 「帚木」より その4

故安東次男と連句、櫻の古歌と「敷島の大和心」に触れ、左馬頭が中流階級のこころのありようなどを、大和絵論や書論を交え理想の愛情論を繰り広げる場面へ。

はじめに

平成14年春期講義のはじめに


「(折口先生は)源氏全講会のときだけは、毎晩、必ず木版本の『湖月抄』を机の上に置いて、赤や青の色鉛筆で句読点を大きく打っていく。声に出して読みながら句読点を打って、下読みをしていられた。」

・安東次男さんの思い出
・校長訓辞は真剣勝負でのぞむべき

『源氏物語』の根底にある大和心

能『忠度』の桜


「行き暮れて木(こ)の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし」
「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」

大和心・大和魂と『源氏物語』
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」(宣長)

「唐才や唐心よりも、一段大事なもの、一段上のものとして奈良時代、平安時代の日本人が考えた大和心、そして宣長に言わせれば、『古事記』などももちろんそうだが、『源氏物語』がやはり大和心・大和魂を一番説いている。物語の奥のところで、人々の心に響かせようとしている物語なのだと考えていたに違いない。」

心深しや、など、ほめたてられて、あはれすゝみぬれば

 『心深しや』など、ほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどは、いと心澄めるやうにて、世に返り見すべくも思へらず。『いで、あな悲し。かくはた思しなりにけるよ』などやうに、あひ知れる人来とぶらひ、ひたすらに憂しとも思ひ離れぬ男、聞きつけて涙落とせば、使ふ人、古御達など、『君の御心は、あはれなりけるものを。あたら御身を』など言ふ。みづから額髪をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、折々ごとにえ念じえず、悔しきこと多かめるに、仏もなかなか心ぎたなしと、見たまひつべし。濁りにしめるほどよりも、なま浮かびにては、かへりて悪しき道にも漂ひぬべくぞおぼゆる。絶えぬ宿世浅からで、尼にもなさで尋ね取りたらむも、やがてあひ添ひて、とあらむ折もかからむきざみをも、見過ぐしたらむ仲こそ、契り深くあはれならめ、我も人も、うしろめたく心おかれじやは。

また、なのめにうつろふ方あらむ人をうらみて

 また、なのめに移ろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心は移ろふ方ありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さる方のよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。

すべて、よろづの事なだらかに、怨ずべき事をば、

 すべて、よろずのことなだらかに、怨ずべきことをば見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも憎からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。多くは、わが心も見る人からをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも、心安くらうたきやうなれど、おのづから軽き方にぞおぼえはべるかし。繋がぬ舟の浮きたる例も、げにあやなし。さははべらぬか」

 と言へば、中将うなづく。

(中将)「さしあたりて、をかしとも哀れとも心にいらむ人の

 「さしあたりて、をかしともあはれとも心に入らむ人の、頼もしげなき疑ひあらむこそ、大事なるべけれ。わが心あやまちなくて見過ぐさば、さし直してもなどか見ざらむとおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、違ふべきふしあらむを、のどやかに見忍ばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」

 と言ひて、わが妹の姫君は、この定めにかなひたまへりと思へば、君のうちねぶりて言葉まぜたまはぬを、さうざうしく心やましと思ふ。

馬の頭、ものさだめのはかせになりて

 馬頭、物定めの博士になりて、ひひらきゐたり。中将は、このことわり聞き果てむと、心入れて、あへしらひゐたまへり。

(馬の頭)「よろづの事によそへておぼせ。

 「よろづのことによそへて思せ。木の道の匠のよろづの物を心にまかせて作り出だすも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、今めかしきに目移りてをかしきもあり。大事として、まことにうるはしき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を難なくし出づることなむ、なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれはべる。

又、ゑ所に上手おほかれど、墨がきに選ばれて、

 また絵所に上手多かれど、墨がきに選ばれて、次々にさらに劣りまさるけぢめ、ふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国のはげしき獣の形、目に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実には似ざらめど、さてありぬべし。

世の常の山のたゝずまひ、水の流れ、目に近き人の家居ありさま

 世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家居ありさま、げにと見え、なつかしくやはらいだる方などを静かに描きまぜて、すくよかならぬ山の景色、木深く世離れて畳みなし、け近き籬の内をば、その心しらひおきてなどをなむ、上手はいと勢ひことに、悪ろ者は及ばぬ所多かめる。

手を書きたるにも、深き事はなくて、こゝかしこの

 手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長に走り書き、そこはかとなく気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、今ひとたびとり並べて見れば、なほ実になむよりける。

はかなき事だにかくこそ侍れ。まして、人の心の

 はかなきことだにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをば、え頼むまじく思うたまへ得てはべる。そのはじめのこと、好き好きしくとも申しはべらむ」とて、近くゐ寄れば、君も目覚ましたまふ。

中将いみじく信じて、つらづゑをつきて向かひ居給へり。

 中将いみじく信じて、頬杖をつきて向かひゐたまへり。法の師の世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言もえ忍びとどめずなむありける。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第13回 「帚木」より その4
収録日 2002年4月11日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

講座名:平成14年春期講座

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