第24回 「夕顔」より その2
『源氏物語図典』小学館刊の紹介のあと講義。『伊勢物語』中の親子の歌を引用し乳母とのやりとり。六条から早朝帰る折り、源氏は、夕顔と添えられた扇が気にかかり、惟光にその家のことを探らせる。
講師:岡野弘彦
『源氏物語図典』について
『源氏物語図典』について
「例えば御殿の間取りとか衣装、楽器、あるいは襲の色目、そういう生活に関する面をお知りになりたい方には、そんなに大きくなくて手ごろで、わりあいに最近というか、出て何年もたっていない本、今、多分本屋へ注文なされば買えるだろうと思う本で言いますと、『源氏物語図典』という小学館から出ています秋山虔さんと小町谷照彦さんが出された本があります。これは大変コンパクトで、なかなかよくできています。」
君はいとあはれと思ほして、
君は、いとあはれと思ほして、
「いはけなかりけるほどに、思ふべき人びとのうち捨ててものしたまひにけるなごり、育む人あまたあるやうなりしかど、親しく思ひ睦ぶる筋は、またなくなむ思ほえし。人となりて後は、限りあれば、朝夕にしもえ見たてまつらず、心のままに訪らひ参づることはなけれど、なほ久しう対面せぬ時は、心細くおぼゆるを、『さらぬ別れはなくもがな』」
となむ、こまやかに語らひたまひて、おし拭ひたまへる袖のにほひも、いと所狭きまで薫り満ちたるに、げに、よに思へば、おしなべたらぬ人の御宿世ぞかしと、尼君をもどかしと見つる子ども、皆うちしほたれけり。
『伊勢物語』より
むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。その母、長岡といふところに住み給ひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづとしけれど、しばしばえまうでず。一つ子にさへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、師走ばかりに、とみのこととて、御文あり。おどろきて見れば、歌あり。
老いぬればさらぬ別れのありといへば
いよいよ見まくほしき君かな
かの子、いたううち泣きてよめる、
世の中にさらぬ別れのなくもがな
千代もと祈る人の子のため
修法など、またまたはじむべき事など、
修法など、またまた始むべきことなど掟てのたまはせて、出でたまふとて、惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば、もて馴らしたる移り香、いと染み深うなつかしくて、をかしうすさみ書きたり。
「心あてにそれかとぞ見る白露の
光そへたる夕顔の花」
そこはかとなく書き紛らはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかに、をかしうおぼえたまふ。惟光に、
「この西なる家は何人の住むぞ。問ひ聞きたりや」
とのたまへば、例のうるさき御心とは思へども、えさは申さで、
「この五、六日ここにはべれど、病者のことを思うたまへ扱ひはべるほどに、隣のことはえ聞きはべらず」
など、はしたなやかに聞こゆれば、
「憎しとこそ思ひたれな。されど、この扇の、尋ぬべきゆゑありて見ゆるを。なほ、このわたりの心知れらむ者を召して問へ」
とのたまへば、入りて、この宿守なる男を呼びて問ひ聞く。
(惟光)「やうめいのすけなる人の家になむ侍りける。
「揚名介なる人の家になむはべりける。男は田舎にまかりて、妻なむ若く事好みて、はらからなど宮仕人にて来通ふ、と申す。詳しきことは、下人のえ知りはべらぬにやあらむ」と聞こゆ。
「さらば、その宮仕人ななり。したり顔にもの馴れて言へるかな」と、「めざましかるべき際にやあらむ」と思せど、さして聞こえかかれる心の、憎からず過ぐしがたきぞ、例の、この方には重からぬ御心なめるかし。御畳紙にいたうあらぬさまに書き変へたまひて、
「寄りてこそそれかとも見めたそかれに
ほのぼの見つる花の夕顔」
ありつる御随身して遣はす。
まだ見ぬ御さまなりけれど、
まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見過ぐさで、さしおどろかしけるを、答へたまはでほど経ければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、「いかに聞こえむ」など言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて、随身は参りぬ。
御前駆の松明ほのかにて、いと忍びて出でたまふ。半蔀は下ろしてけり。隙々より見ゆる灯の光、蛍よりけにほのかにあはれなり。
御心ざしの所には、こだち前栽など、
御心ざしの所には、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなしたまへり。うちとけぬ御ありさまなどの、気色ことなるに、ありつる垣根思ほし出でらるべくもあらずかし。
翌朝、すこし寝過ぐしたまひて、日さし出づるほどに出でたまふ。朝明の姿は、げに人のめできこえむも、ことわりなる御さまなりけり。
今日もこの蔀の前渡りしたまふ。来し方も過ぎたまひけむわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、「いかなる人の住み処ならむ」とは、往き来に御目とまりたまひけり。
惟光、日ごろありて参れり。
惟光、日頃ありて参れり。
「わづらひはべる人、なほ弱げにはべれば、とかく見たまへあつかひてなむ」
など、聞こえて、近く参り寄りて聞こゆ。
「仰せられしのちなむ、隣のこと知りてはべる者、呼びて問はせはべりしかど、はかばかしくも申しはべらず。『いと忍びて、五月のころほひよりものしたまふ人なむあるべけれど、その人とは、さらに家の内の人にだに知らせず』となむ申す。
時々、中垣のかいま見しはべるに、げに若き女どもの透影見えはべり。褶だつもの、かごとばかり引きかけて、かしづく人はべるなめり。
昨日、夕日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の、顔こそいとよくはべりしか。もの思へるけはひして、ある人びとも忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見えはべる」
と聞こゆ。君うち笑みたまひて、「知らばや」と思ほしたり。
おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、
おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御よはひのほど、人のなびきめできこえたるさまなど思ふには、好きたまはざらむも、情けなくさうざうしかるべしかし、人のうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、と思ひをり。
「もし、見たまへ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。書き馴れたる手して、口とく返り事などしはべりき。いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる」
と聞こゆれば、
「なほ言ひ寄れ。尋ね寄らでは、さうざうしかりなむ」とのたまふ。
かの、下が下と、人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり。
さて、かの空蝉のあさましくつれなきを、
さて、かの空蝉のあさましくつれなきを、この世の人には違ひて思すに、おいらかならましかば、心苦しき過ちにてもやみぬべきを、いとねたく、負けてやみなむを、心にかからぬ折なし。かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、ありし「雨夜の品定め」の後、いぶかしく思ほしなる品々あるに、いとど隈なくなりぬる御心なめりかし。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第24回 「夕顔」より その2 |
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収録日 | 2002年10月17日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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