第36回 「若紫」より その3
尼上に若紫の後見人になることを、申し出るが、断られる。僧都、聖らに見送られ、帰路につく。丸谷才一の『輝く日の宮』、晶子、谷崎の訳について、現代の短歌についてなど。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- (源氏)「いとあはれにものし給ふ事かな。
- (源氏)「あやしき事なれど、幼き御後見におぼすべく、
- 君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそゝぎ、
- (源氏)「げに、うちつけなり、とおぼめき給はむも道理なれど、
- 「あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ。
- (源氏)「かうやうの人伝なる御消息は、まだ更に聞え知らず、
- (源氏)「うちつけに浅はかなりと御覧ぜられぬべきついでなれど、
- (尼君)「げに思ひ給へより難きついでに、かくまで宣はせ聞えさするも、
- 暁方になりにければ、法華三昧おこなふ堂の懺法の声、
- 明け行く空はいといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなく囀り合ひたり。
- 御迎への人々参りて、おこたり給へる喜び聞え、
- ひじり、御まもりに独鈷(とこ)奉る。
- うちに僧都入り給ひて、かの聞え給ひし事まねび聞え給へど、
(源氏)「いとあはれにものし給ふ事かな。
(源氏)「いとあはれにものし給ふ事かな。それはとゞめ給ふかたみもなきか」と、幼なかりつる行方(ゆくへ)の、なほ確かに知らまほしくて、問ひ給へば、(僧都)「なくなり侍りし程にこそ侍りしか。それも女にてぞ。それにつけて、物思ひのもよほしになむ、よはひの末に思ひ給へ嘆き侍るめる」と聞え給ふ。さればよ、とおぼさる。
(源氏)「あやしき事なれど、幼き御後見におぼすべく、
(源氏)「あやしき事なれど、幼き御後見におぼすべく、聞え給ひてむや。思ふ心ありて、行きかゝづらふ方も侍りながら、よに心のしまぬにやあらむ、独住(ひとりずみ)にてのみなむ。また似げなき程と、常の人におぼしなずらへて、はしたなくや」など宣へば、(僧都)「いとうれしかるべきおほせ言なるを、まだむげにいはけなき程に侍るめれば、戯(たはぶれ)にても御覧じ難くや。そもそも女人は人にもてなされて、おとなにもなり給ふものなれば、委しくはえとり申さず。かの祖母に語らひ侍りて聞えさせむ」とすくよかに言ひて、ものごはき様し給へれば、若き御心にはづかしくて、えよくも聞え給はず。(僧都)「阿弥陀(あみだ)仏(ほとけ)ものし給ふ堂に、する事侍る頃になむ。初夜(そや)未だ勤め侍らず。すぐして侍(さぶら)はむ」とて、のぼり給ひぬ。
君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそゝぎ、
君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそゝぎ、山風ひやゝかに吹きたるに、滝のよどみも勝(まさ)りて、音高う聞ゆ。すこしねぶたげなる読経の、絶え絶えすごく聞ゆるなど、すゞろなる人も、所がらものあはれなり。まして、おぼしめぐらす事多くて、まどろまれ給はず。初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息にひきならさるゝ音ほの聞え、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなり、と聞き給ひて、程もなく近ければ、外(と)に立てわたしたる屏風の中を、すこしひき開(あ)けて、扇をならし給へば、覚えなきこゝちすべかめれど、聞き知らぬやうにや、とてゐざり出づる人あなり。すこししぞきて、(女房)「あやし。ひが耳にや」とたどるを聞き給ひて、(源氏)「仏の御しるべは、暗きに入りても、更に違(たが)ふまじかなるものを」と宣ふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声(こわ)づかひもはづかしけれど、(女房)「いかなる方の御しるべにかは。おぼつかなく」と聞ゆ。
(源氏)「げに、うちつけなり、とおぼめき給はむも道理なれど、
(源氏)「げに、うちつけなり、とおぼめき給はむも道理(ことわり)なれど、
はつ草の若葉のうへを見つるより旅寝の袖も露ぞかわかぬ
と聞え給ひてむや」と宣ふ。
(女房)「更にかやうの御消息、承り分くべき人もものし給はぬ様は、知ろしめしたりげなるを。誰にかは」と聞ゆ。(源氏)「自(おのづか)らさるやうありて聞ゆるならむと思ひなし給へかし」と宣へば、入りて聞ゆ。
「あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ。
「あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ。さるにては、かの若草を、いかで聞い給へることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱れて、久しうなればなさけなし、とて、
(尼君)「枕ゆふ今宵(こよひ)ばかりの露けさを深山(みやま)の苔(こけ)にくらべざらなむ
ひがたう侍るものを」と聞え給ふ。
(源氏)「かうやうの人伝なる御消息は、まだ更に聞え知らず、
(源氏)「かうやうの人伝(づて)なる御消息は、まだ更に聞え知らず、ならはぬ事になむ。かたじけなくとも、かゝるついでに、まめまめしう聞えさすべき事なむ」と聞え給へれば、尼君「ひがごと聞き給へるならむ。いとはづかしき御けはひに、何事をかはいらへ聞えむ」と宣へば、「はしたなうもこそ思せ」と人々聞ゆ。(尼君)「げに若やかなる人こそうたてもあらめ。まめやかに宣ふ、かたじけなし」とて、ゐざり寄り給へり。
(源氏)「うちつけに浅はかなりと御覧ぜられぬべきついでなれど、
(源氏)「うちつけに浅はかなりと御覧ぜられぬべきついでなれど、心にはさも覚え侍らねば、仏は自ら」とておとなおとなしう恥づかしげなるにつゝまれて、とみにもえうち出で給はず。
(尼君)「げに思ひ給へより難きついでに、かくまで宣はせ聞えさするも、
(尼君)「げに思ひ給へより難きついでに、かくまで宣はせ聞えさするも、あさくはいかゞ」と宣ふ。(源氏)あはれに承る御有様を、かの過ぎ給ひにけむ御かはりに、思しないてむや。いふかひなき程のよはひにて、むつまじかるべき人にも、立ちおくれ侍りにければ、あやしう浮きたるやうにて、年月(としつき)をこそ重(かさ)ね侍れ。同じ様にものし給ふなるを、たぐひになさせ給へ、と、いと聞えまほしきを、かゝる折り侍り難くてなむ、思されむ所をも憚らず、うち出で侍りぬる」と聞え給へば、(尼君)「いと嬉しう思ひ給へぬべき御事ながらも、聞召(きこしめ)しひがめたる事などや侍らむ、とつゝましうなむ。あやしき身ひとつを、たのもし人にする人なむ侍れど、いとまだいふかひなき程にて、御覧じ許さるゝ方も侍り難ければ、えなむ承りとゞめられざりける」と宣ふ。(源氏)「みなおぼつかなからず承り侍るものを、所狭(せ)ふ思し憚らで、思ひ給へよる様(さま)、殊(こと)なる心の程を、御覧ぜよ」と聞え給へど、いと似げなき事を、さも知らで宣ふ、と思して、心とけたる御いらへもなし。僧都おはしぬれば、(源氏)「よし。かう聞えそめ侍りぬれば、いと頼もしうなむ」とて、おしたて給ひつ。
暁方になりにければ、法華三昧おこなふ堂の懺法の声、
暁方(あかつきがた)になりにければ、法華三昧おこなふ堂の懺法(せんぽふ)の声、山おろしにつきて聞えくる、いと尊く、滝の音に響き合ひたり。
(源氏)「吹き迷ふみ山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな」
(僧都)「さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする
耳なれ侍りにけりや」と聞え給ふ。
明け行く空はいといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなく囀り合ひたり。
明け行く空はいといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなく囀(さへづ)り合ひたり。名も知らぬ木草の花ども、いろいろに散り交(まじ)り、錦を敷けると見ゆるに、鹿(しか)のたゝずみ歩くもめづらしく見給ふに、悩ましさも紛れ果てぬ。ひじり、動きもえせねど、とかうして護身参らせ給ふ。かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功(ぐう)づきて、陀羅尼よみたり。
御迎への人々参りて、おこたり給へる喜び聞え、
御迎への人々参りて、おこたり給へる喜び聞え、内よりも御とぶらひあり。僧都、世に見えぬさまの御くだもの、なにくれと、谷の底まで堀り出で、営み聞え給ふ。(僧都)「今年ばかりの誓ひ深う侍りて、御送りにもえ参り侍るまじき事、なかなかにも思ひ給へらるべきかな」など聞え給ひて、おほみき参り給ふ。(源氏)「山水に心とまり侍りぬれど、内よりおぼつかながらせ給へるも、かしこければなむ。今、此の花の折り過ぐさず参り来む。
宮人に行きて語らむ山桜風より先に来ても見るべく」
と宣ふ御もてなし、声づかひさへ、目もあやなるに、
(僧都)「優曇華(うどんげ)の花待ち得たる心地して深山桜(みやまざくら)に目こそ移らね」
と聞え給へば、ほゝゑみて、(源氏)「時ありて一度(ひとたび)開くなるは、難(かた)かなるものを」と宣ふ。ひじり、御かはらけ賜はりて、
(聖)「奥山の松のとぼそをまれに開(あ)けてまだ見ぬ花の顔を見るかな」
と、うち泣きて見奉る。
ひじり、御まもりに独鈷(とこ)奉る。
ひじり、御まもりに独鈷(とこ)奉る。見給ひて、僧都、聖徳太子の百済(くだら)より得給へりける金剛子の数珠の、玉の装束(さうそく)したる、やがてその国より入れたる箱の唐(から)めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝につけて、紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤(ふぢ)桜などにつけて、所につけたる御贈り物ども、さゝげ奉り給ふ。君、聖(ひじり)よりはじめ、読経しつる法師の布施(ふせ)ども、まうけの物ども、様々に取りに遣(つかは)したりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経などして出で給ふ。
うちに僧都入り給ひて、かの聞え給ひし事まねび聞え給へど、
うちに僧都入り給ひて、かの聞え給ひし事まねび聞え給へど、(尼君)「ともかうも唯今は聞えむかたなし。もし御心ざしあらば、いま四五年を過ぐしてこそは、ともかうも」と宣へば、さなむ、と、同じさまにのみあるを、ほいなしとおぼす。御消息、僧都のもとなる小さき童(わらは)して、
(源氏)「夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわづらふ」
御返し
(尼君)「まことにや花のあたりは立ち憂きと霞むる空の気色をも見む」
と、よしある手のいとあてなるを、うち捨て書い給へり。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第36回 「若紫」より その3 |
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収録日 | 2003年6月12日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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