第37回 「若紫」より その4
『新潮』の折口信夫特集(2003年10月特大号)について等に触れてから本文。源氏は北山から戻っても尼上と歌のやりとりをする。花見の折、苔むした石の庭で楽に興じる。源氏も僧にすすめられ琴を奏す。音は耳にした者達の心をうつ。
講師:岡野弘彦
秋期講義のはじめに
「この夏は三矢重松博士八十年祭、折口信夫博士五十年祭のことに関して書かされたり、座談会で話をしなければならなかったり、能登の折口先生のお墓のあるところで藤井家での前夜祭、あるいは墓前での五十年祭というふうなのがありまして、自然にいろんなことを考えさせられることが多かったわけです。・・・」
・「折口信夫特集」の座談会/折口信夫がもつある未来性
・『座談昭和文学史』/柳田国男と折口信夫をテーマにした座談会
折口信夫の民俗学について
・流浪の民、あるいは異端の民というふうなものにも熱い心を注ぎ続けていた折口信夫
・村の祭りが持っている途方もない型破りのエネルギー
・「いろごのみの道徳」/外来の宗教や倫理観、道徳観が入ってくる以前の日本人の理想の在り方
「先生の講義は、(中略)聞いていると、静かに語っているんですけれども、思わず引き入れられていく。何か部屋の照明がだんだん薄暗くなっていって、先生の話が驚くべき集中力を持ってくる。我れ人かわからないような形で、先生の心と一つになって鼓動を打っているような、そんな気持ちがしてくる話が、いつでもというわけではありませんけれども、しばしばあった。」
柳田国男先生と折口先生
・最後まで柳田先生には認められなかった折口信夫の「まれびと論」
・学問の問題をめぐり激しくきり結んでいた二人
・折口信夫の論文「月と槻の文学」のこと
最上川のぼればくだるいな舟のいなにはあらずこの月ばかり
「折口信夫にはわりあいにそういう身の上相談をしにくる人が多かったんです。そして先生の前で、私はどうしてもこれがやめられないんですと言って、あのこののヒロポンを注射してみせたりする弟子がいまして、先生、嫌な顔もしないで、別にそんなものを奨励するわけはないわけですけれども、うーんと見ている。先生の前では何でも気を許して物事を話して、時に訴えて、先生から何か言葉が欲しいというふうな気持ちにさせる人だったんだと思うのです。・・・」
折口信夫の『源氏物語』の根底/出雲の神々
・日本の神話・物語、あるいは和歌の根底にある「いろごのみの道徳」
・古代出雲の神話を重要視していた折口信夫
・近代以降、拒否せられてきた出雲系の神話
「・・・日本人が本当に自分たちの宗教、宗教的な情熱を持って、あの古典を基礎にして組み立て盛り上げていこうとすれば、どうしても出雲系の神話を無視することはできないわけですね。そして、江戸時代には、宣長も晩年にはそういうところに焦点を持ちますし、平田篤胤がそのことについて非常に熱心なんですね。ところが、その平田学の伝統は明治になってぷっつりと抑えられてしまう。」
(源氏)「夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわづらふ」
(源氏)「夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわづらふ」
御返し
(尼君)「まことにや花のあたりは立ち憂きと霞むる空の気色をも見む」
と、よしある手のいとあてなるを、うち捨て書い給へり。
御車に奉る程、大殿(おほいどの)より、(人々)「いづちともなくておはしましにける事」とて、御迎への人々、君達など、あまた参り給へり。頭(とう)の中将、左中弁、さらぬ君達も慕ひ聞えて、(君達)「かうやうの御供は仕(つか)うまつり侍らむと思ひ給ふるを、あさましくおくらさせ給へること」と怨み聞えて、 (君達)「いといみじき花の蔭(かげ)に、しばしもやすらはず立ち帰り侍らむは、飽かぬわざかな」と宣ふ。岩がくれの苔の上に並(な)み居て、かはらけ参る。落ち来る水の様など、ゆゑある滝のもとなり。
頭の中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。
頭の中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇(あふぎ)はかなう打ち鳴らして、「豊浦(とよら)の寺の西なるや」と謡(うた)ふ。人よりは異なる君達なるを、源氏の君いといたううち悩みて、岩に寄り居給へるは、類(たぐひ)なくゆゝしき御有様にぞ、何事にも目移るまじかりける。
例の、篳篥(ひちりき)吹く随身、笙の笛持たせたる好(す)き者(もの)などあり。僧都、琴(きん)を自(みずか)ら持て参りて、(僧都)「これ只御手ひとつあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかし侍らむ」と、切(せち)に聞え給へば、(源氏)「みだりごゝちいと堪え難きものを」と聞え給へど、けにくからず掻きならして、皆立ち給ひぬ。
飽(あ)かず口惜しと、いふかひなき法師童(わらはべ)も涙落とし合へり。
飽(あ)かず口惜しと、いふかひなき法師童(わらはべ)も涙落とし合へり。ましてうちには、年老いたる尼君達など、まださらにかゝる人の御有様を見ざりつれば、(尼達)「この世のものとも覚え給はず」と聞え合へり。僧都も、「あはれ、何の契りにて、かゝる御様(さま)ながら、いとむつかしき日本(ひのもと)の末の世に生まれ給へらむ、と見るにいとなむ悲しき」とて、目おしのごひ給ふ。
この若君、幼なごゝちに、めでたき人かなと見給ひて、(若君)「宮の御有様よりも、まさり給へるかな」など宣ふ。(女房)「さらば、かの人の御子になりておはしませよ」と聞ゆれば、うちうなづきて、「いとようありなむ」と思したり。ひいな遊びにも、絵画(か)い給ふにも、源氏の君と作り出でて、清らなる衣(きぬ)着せ、かしづき給ふ。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第37回 「若紫」より その4 |
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収録日 | 2003年9月25日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
平成15年秋期講座 |
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