源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第40回 「若紫」より その7

藤壺と源氏が密かに逢う。藤壺は懐妊する。ここで、『源氏物語』を読み取る重要点を挙げる。『伊勢物語』や『大和物語』も引用する。

藤壺の宮、悩(なや)み給ふ事ありて、まかで給へり。

 藤壺の宮、悩(なや)み給ふ事ありて、まかで給へり。上の、おぼつかながり嘆き聞え給ふ御気色も、いといとほしう見奉りながら、かゝる折りだにと、心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにもまうで給はず。内にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば王命婦を責めありき給ふ。いかゞたばかりけむ、いとわりなくて見奉る程さへ、うつゝとは覚(おぼ)えぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世と共の御物思ひなるを、さてだにやみなむ、と深ふおぼしたるに、いと心憂くて、いみ  じき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させ給はぬを、などかなのめなる事だにうちまじり給はざりけむ、と、つらうさへぞおぼさるゝ。何事をかは聞え尽くし給はむ。くらぶの山に宿(やどり)も取らまほしげなれど、あやにくなる短か夜にて、あさましうなかなかなり。

  (源氏)「見ても又逢ふ夜まれなる夢の中(うち)にやがて紛るゝ我身ともがな」

と、むせかへり給ふ様も、さすがにいみじければ、

  (藤壺)「世語りに人や伝へむ類(たぐひ)なくうき身を醒めぬ夢になしても」

おぼし乱れたる様も、いと道理(こととわり)にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣(なほし)などは、かき集め持て来たる。

殿におはして、泣き寝に臥し暮らし給ひつ。

 殿におはして、泣き寝に臥し暮らし給ひつ。御文なども、例の御覧じ入れぬよしのみあれば、常の事ながらもつらういみじう思(おぼ)しほれて、内へも参らで、二三日(ふつかみか)籠もりおはすれば、またいかなるにか、と、御心動かせ給ふべかめるも、恐ろしうのみ覚(おぼ)え給ふ。

宮も、なほいと心憂き身なりけり、と、おぼし嘆くに、

 宮も、なほいと心憂き身なりけり、と、おぼし嘆くに、悩ましさまもまさり給ひて、とく参り給ふべき御使ひしきれど、おぼしも立たず、まことに御ここち例のやうにもおはしまさぬは、「いかなるにか」と、人知れずおぼす事もありければ、心憂く、いかならむとのみ、おぼし乱る。暑き程はいとゞ起きも上がり給はず。三月(みつき)になり給へば、いとしるき程にて、人々見奉りとがむるに、あさましき御宿世(すくせ)の程、心憂し。人は思ひ寄らぬ事なれば、この月まで奏せさせ給はざりける事、と驚き聞ゆ。わが御心一つには、しるう思(おぼ)し分く事もありけり。御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をも、しるく見奉り知れる、御乳母子(めのとご)の弁(べん)、命婦などぞ「あやし」と思へど、かたみに言ひ合はすべきにあらねば、なほのがれ難かりける御宿世をぞ、命婦は「あさまし」と思ふ。内には、御もののけの紛れにて、とみに気色(けしき)なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。みな人もさのみ思ひけり。いとゞあはれに限りなう思されて、御使ひなどのひまなきも、そら恐ろしう、物をおぼす事ひまなし。

『伊勢物語』(六十九段)より

『伊勢物語』(六十九段)より

むかし、お(を)とこ有(あり)けり。そのお(を)とこ、伊勢の国(くに)に狩(かり)の使にいきけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の親(おや)、「常(つね)の使(つかひ)よりは、この人よくいたはれ」といひやれりければ、親(おや)の言(こと)なりければ、いとねむごろにいたはりけり。朝(あした)には狩(かり)にいだしたててやり、夕(ゆふ)さりは帰(かへ)りつゝ、そこに来(こ)させけり。かくてねむごろにいたつきけり。二日といふ夜、お(を)とこ、「破れて逢(あ)はむ」といふ。女もはた、いと逢(あ)はじとも思(おも)へらず。されど、人目(め)しげければ、え逢(あ)はず。使(つかひ)ざねとある人なれば、とをくも宿(やど)さず。女の閨近(ねやちか)くありければ、女、人(ひと)をしづめて、子(ね)一(ひと)つ許(ばかり)に、お(を)とこのもとに来(き)たりけり。お(を)とこはた、寝(ね)られざりければ、外(と)のかたを見出(い)だして臥(ふ)せるに、月のおぼろなるに、小(ちひ)さき童(わらは)を先(さき)に立(た)てて、人立(た)てり。お(を)とこ、いとうれしくて、わが寝(ね)る所に率(ゐ)て入(い)りて、子(ね)一(ひと)つより丑(うし)三(み)つまであるに、まだ何(なに)ごとも語(かた)らはぬに、帰(かへ)りにけり。お(を)とこ、いとかなしくて、寝(ね)ずなりにけり。つとめて、いぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待(ま)ちをれば、明(あ)けはなれてしばしあるに、女のもとより、ことばはなくて、

君(きみ)や来(こ)し我や行(ゆ)きけむおもほえず夢か現(うつゝ)か寝(ね)てかさめてか
お(を)とこ、いといたう泣きてよめる。

かきくらす心の闇(やみ)にまどひにき夢(ゆめ)うつゝとはこよひ定(さだ)めよ

とよみてやりて、狩(かり)に出(い)でぬ。野にありけど、心は空(そら)にて、こよひだに人しづめて、いととく逢(あ)はむと思(おもふ)に、国(くに)の守(かみ)、斎(いつきの)宮の守(かみ)かけたる、狩(かり)の使(つかひ)ありと聞(き)きて、夜ひと夜(よ)酒飲(さけの)みしければ、もはらあひごともえせで、明(あ)けばお(を)はりの国(くに)へ立(た)ちなむとすれば、男(をとこ)も人知(し)れず血(ち)の涙(なみだ)を流(なが)せど、え逢(あ)はず。夜やうやう明(あ)けなむとするほどに、女がたよりいだす杯(さかづき)の皿(さら)に、歌を書(か)きて出(いだ)したり。とりて見(み)れば、

かち人の渡(わた)れど濡(ぬ)れぬえにしあれば

と書(か)きて、末(すえ)はなし。その杯(さかづき)の皿(さら)に、続松(ついまつ)の炭(すみ)して、歌(うた)の末(すえ)を書(か)きつぐ。

又逢坂(あふさか)の関(せき)は越(こ)えなん

とて、明(あ)くればお(を)はりの国(くに)へ越(こ)えにけり。

古代の王権に絡むさまざまな神話について

・伊須気余理比売の歌
狭井河よ 雲起(た)ちわたり 畝火(うねび)山 木の葉さやぎぬ。風吹かむとす。

畝火山 昼は雲とゐ、夕されば 風吹かむとそ 木の葉さやげる。

・速総別(はやぶさわけ)と女鳥(めとり)の王(おおきみ)の物語

・倭建の神話

・大津皇子と大伯(おおくの)皇女(おうじょ)

わが夫子(せこ)を大和へ遣(や)るとさ夜(よ)更(ふ)けて暁(あかとき)露に吾が立ち濡れし

二人行けど行き過ぎがたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ

うつそみの人にある吾や明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見む

・延喜式の祝詞
「国中(くぬち)に成り出(い)でむ天之益人等(あめのますひとら)が、過ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪(つみ)事(ごと)は・・・」

天津罪 「畦放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・樋放(ひはなち)・頻蒔(しきまき)・串刺(くしさし)・生剥(いきはぎ)・逆剥(さかはぎ)・糞戸(くそへ)、許許太久(ここだく)の罪」

国津罪 「生膚断(いきはだたち)・死膚断(しにはだたち)・白人(しろひと)・胡久美(こくみ)・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜(けもの)犯せる罪・昆虫(はふむし)の災(わざわひ)・高津神(たかつかみ)の災・高津鳥(たかつとり)の災・畜(けもの)たふし・まじ物為(せ)る罪」

「『源氏物語』のこういう場面は、平安朝の延喜式の中の祝詞の中にこんなふうに多くの日本人が自分たちの罪というものを意識している、そのことと響き合ってくる問題でもあるわけですね。藤壺と光源氏の大変な重い、それだけに心の中に大きなときめきを残す場面について考えていただくヒントみたいなものを申し上げておくわけです。」

コンテンツ名 源氏物語全講会 第40回 「若紫」より その7
収録日 2003年10月16日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成15年秋期講座

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