源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第41回 「若紫」より その8

源氏はおどろおどろしい夢を見てしまう。夢占は罪と慎み、のようなことを夢から見る。他方北山の尼上が帰京しており、見舞うと、若紫が「ほだし」になる事が苦しいと、若紫を託される。

中将の君も、おどろおどろしう、様異(さまこと)なる夢を見給ひて、

 中将の君も、おどろおどろしう、様異(さまこと)なる夢を見給ひて、合はする者を召して問はせ給へば、及びなう思(おぼ)しもかけぬ筋の事を、合はせけり。(夢)「その中に違目(たがひめ)ありて、慎ませ給ふべき事なむ侍る」と言ふに、わづらはしくおぼえて、(源氏)「自らの夢にはあらず。人の御事を語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」と宣ひて、心のうちには、いかなる事ならむ、と、思しわたるに、この女宮の御事聞き給ひて、「もしさるやうもや」と、思し合はせ給ふに、いとゞしく、いみじき言の葉尽くし聞え給へど、命婦も思ふに、いとむくつけうわづらはしさまさりて、さらにたばかるべき方なし。はかなき一行(ひとくだり)の御返しの、たまさかなりしも、絶えはてにたり。

七月(ふんづき)になりてぞ参り給ひける。めづらしうあはれにて、

 七月(ふんづき)になりてぞ参り給ひける。めづらしうあはれにて、いとゞしき御思ひの程かぎりなし。少しふくらかになり給ひて、うち悩み、面(おも)痩(や)せ給へる、はた、げに似るものなくめでたし。例の明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき頃なれば、源氏の君も、いとまなく召しまつはしつゝ、御琴笛(ことふえ)など、様々に仕うまつらせ給ふ。いみじうつゝみ給へど、忍び難き気色(けしき)の漏り出づる折り折り、宮もさすがなる事どもを、多くおぼし続けけり。

かの山寺の人は、よろしうなりて、出で給ひにけり。

 かの山寺の人は、よろしうなりて、出で給ひにけり。京の御すみか尋ねて、時々の御消息などあり。同じ様にのみあるも、道理(ことわり)なるうちに、この月頃は、ありしにまさる物思ひに、異事(ことごと)なくて過ぎ行く。

秋の末つ方、いともの心細くて、嘆き給ふ。

 秋の末つ方、いともの心細くて、嘆き給ふ。月のをかしき夜、忍びたる所に、からうじて思ひたち給へるを、時雨(しぐれ)めいてうちそゝぐ。おはする所は六条京極わたりにて、内裏(うち)よりなれば、すこし程遠きこゝちするに、荒れたる家の、木立(こだち)いとものふりて、木(こ)暗く見えたる、あり。例の御供に離れぬ惟光なむ「故按察使(あぜち)の大納言の家に侍り。ひと日物のたよりにとぶらひて侍りしかば、かの尼上いたう弱り給ひにたれば、何事もおぼえず、となむ申して侍りし」と聞ゆれば、(源氏)「あはれのことや。とぶらふべかりけるを、などかさなむとものせざりし。入りて消息せよ」と宣へば、人入れて案内(あない)せさす。

わざとかう立ち寄り給へる事、と言はせたれば、入りて、

 わざとかう立ち寄り給へる事、と言はせたれば、入りて、(供人)「かく御とぶらひになむおはしましたる」と言ふに、おどろきて、(女房)「いとかたはらいたき事かな。この日頃むげに、いと頼もしげなくならせ給ひにたれば、御対面などもあるまじといへども、帰し奉らむはかしこし」とて、南の廂(ひさし)ひきつくろひて入れ奉る。

(女房)「いとむつかしげに侍れど、かしこまりをだにとて。

 (女房)「いとむつかしげに侍れど、かしこまりをだにとて。ゆくりなうもの深きおまし所になむ」と聞ゆ。げにかゝる所は、例に違(たが)ひて思さる。

(源氏)「常に思ひ給へ立ちながら、かひなき様にのみもてなさせ給ふに、

 (源氏)「常に思ひ給へ立ちながら、かひなき様にのみもてなさせ給ふに、つゝまれ侍りてなむ。悩ませ給ふ事を、かくとも承らざりけるおぼつかなさ」など聞え給ふ。(尼君)「みだり心地はいつともなくのみ侍るが、限りの様になり侍りて、いとかたじけなく立ち寄らせ給へるに、自ら聞えさせぬこと。宣はする事の筋、たまさかにも思しめし変らぬやう侍らば、かくわりなき齢(よはひ)過ぎ侍りて、必ずかずまへさせ給へ。いみじう心細げに見給へ置くなむ、願ひ侍る途(みち)のほだしに思ひ給へられぬべき」など聞え給へり。

いと近ければ心細げなる御声、絶え絶え聞えて、

 いと近ければ心細げなる御声、絶え絶え聞えて、(尼君)「いとかたじけなきわざにも侍るかな。この君だにかしこまりも聞え給ひつべき程ならましかば」と宣ふ。あはれに聞き給ひて、(源氏)「何か、浅う思ひ給へむ事ゆゑ、かう好き好きしき様を見え奉らむ。いかなる契りにか、見奉りそめしより、あはれに思ひ聞ゆるも、あやしきまで、この世の事には覚え侍らぬ」など宣ひて、(源氏)「かひなきこゝちのみし侍るを、かのいはけなうものし給ふ御ひと声、いかで」と宣へば、(女房)「いでや。よろづ思し知らぬ様に、大殿(おほとの)ごもり入りて」など聞ゆる折りしも、あなたより来る音して、(若君)「上(うへ)こそ。この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見給はぬ」と宣ふを、人々、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞ゆ。(若君)「いさ、見しかばこゝちのあしさ慰めき、と宣ひしかばぞかし」と、かしこき事聞き得たりと思して宣ふ。いとをかしと聞い給へど、人々の苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞えおき給ひて、帰り給ひぬ。「げにいふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」とおぼす。

またの日も、いとまめやかにとぶらひ聞え給ふ。

 またの日も、いとまめやかにとぶらひ聞え給ふ。例の小さくて、
   (源氏)「いはけなき鶴(たづ)の一声聞きしより葦間(あしま)になづむ舟ぞえならぬ

同じ人にや」と、ことさら幼く書きなし給へるも、いみじうをかしげなれば、やがて御手本にと人々聞ゆ。

少納言ぞ聞えたる。「とはせ給へるは、今日をも過(すぐ)し難げなる様にて、

 少納言ぞ聞えたる。「とはせ給へるは、今日をも過(すぐ)し難げなる様にて、山寺に罷(まか)り渡る程にて、かうとはせ給へるかしこまりは、この世ならでも聞えさせむ」とあり。いとあはれと思す。

秋の夕べは、まして心のいとまなく、おぼしみだるゝ人の御あたりに、

 秋の夕べは、まして心のいとまなく、おぼしみだるゝ人の御あたりに、心をかけて、あながちなるゆかりも、尋ねまほしき心も、まさり給ふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ、思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむ、と、さすがにあやふし。 

  (源氏)「手につみていつしかも見む紫のねに通ひける野辺の若草」

 

十月(かんなづき)に、朱雀院(すざくゐん)の行幸あるべし。

 十月(かんなづき)に、朱雀院(すざくゐん)の行幸あるべし。舞人(まひびと)など、やんごとなき家の子ども、上達部殿上人どもなども、その方につきづきしきは、皆選(え)らせ給へれば、親王(みこ)達大臣よりはじめて、とりどりのざえども習ひ給ふ。いとまなし。

山里人にも久しくおとづれ給はざりけるをおぼし出でて、

 山里人にも久しくおとづれ給はざりけるをおぼし出でて、ふりはへつかはしたりければ、僧都の返り事のみあり。「たちぬる月の廿日のほどになむ、つひにむなしく見給へなして、世間の道理(だうり)なれど、かなしび思ひ給ふる」などあるを見給ふに、世の中のはかなさもあはれに、うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼き程に恋ひやすらむ、故御息所(みやすどころ)に後(おく)れ奉りしなど、はかばかしからねど思ひ出でて、浅からずとぶらひ給へり。少納言、ゆゑなからず御かへりなど聞えたり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第41回 「若紫」より その8
収録日 2003年10月23日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成15年秋期講座

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