第68回 「須磨」より その5
頭の中将(今は宰相)が訪れる。夜通し漢詩を作り別れに源氏が黒駒を、中将は笛を取り交わす。弥生の朔日に祓へをしていると雷雨激しく、源氏の夢の中に海龍王らしき影が訪れる。「河童祭」の事、日々の雑感を。
講師:岡野弘彦
明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、
明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて、文など遣りけれど、返り事もせず、父入道ぞ、
「聞こゆべきことなむ。あからさまに対面もがな」
と言ひけれど、「うけひかざらむものゆゑ、行きかかりて、むなしく帰らむ後手もをこなるべし」と、屈じいたうて行かず。
世に知らず心高く思へるに、国の内は守のゆかりのみこそは
世に知らず心高く思へるに、国の内は守のゆかりのみこそはかしこきことにすめれど、ひがめる心はさらにさも思はで年月を経けるに、この君かくておはすと聞きて、母君に語らふやう、
「桐壷の更衣の御腹の、源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて、須磨の浦にものしたまふなれ。吾子の御宿世にて、おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、この君にをたてまつらむ」
と言ふ。母、
「あな、かたはや。京の人の語るを聞けば、やむごとなき御妻ども、いと多く持ちたまひて、そのあまり、忍び忍び帝の御妻さへあやまちたまひて、かくも騒がれたまふなる人は、まさにかくあやしき山賤を、心とどめたまひてむや」
と言ふ。腹立ちて、
「え知りたまはじ。思ふ心ことなり。さる心をしたまへ。ついでして、ここにもおはしまさせむ」
と、心をやりて言ふもかたくなしく見ゆ。まばゆきまでしつらひかしづきけり。母君、
「などか、めでたくとも、ものの初めに、罪に当たりて流されておはしたらむ人をしも思ひかけむ。さても心をとどめたまふべくはこそあらめ、たはぶれにてもあるまじきことなり」
と言ふを、いといたくつぶやく。
「罪に当たることは、唐土にも我が朝廷にも、かく世にすぐれ、何ごとも人にことになりぬる人の、かならずあることなり。いかにものしたまふ君ぞ。故母御息所は、おのが叔父にものしたまひし按察使大納言の御娘なり。いとかうざくなる名をとりて、宮仕へに出だしたまへりしに、国王すぐれて時めかしたまふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて亡せたまひにしかど、この君のとまりたまへる、いとめでたしかし。女は心高くつかふべきものなり。おのれ、かかる田舎人なりとて、思し捨てじ」
など言ひゐたり。
この娘、すぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、
この娘、すぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさまなどぞ、げに、やむごとなき人に劣るまじかりける。身のありさまを、口惜しきものに思ひ知りて、
「高き人は、我を何の数にも思さじ。ほどにつけたる世をばさらに見じ。命長くて、思ふ人びとに後れなば、尼にもなりなむ、海の底にも入りなむ」
などぞ思ひける。
父君、所狭く思ひかしづきて、年に二たび、住吉に詣でさせけり。神の御しるしをぞ、人知れず頼み思ひける。
(つづき)
(3.のつづき)
須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、
須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。
二月二十日あまり、去にし年、京を別れし時、心苦しかりし人びとの御ありさまなど、いと恋しく、「南殿の桜、盛りになりぬらむ。一年の花の宴に、院の御けしき、内裏の主上のいときよらになまめいて、わが作れる句を誦じたまひし」も、思ひ出できこえたまふ。
「いつとなく大宮人の恋しきに
桜かざしし今日も来にけり」
いとつれづれなるに、大殿の三位中将は、今は宰相になりて、人柄のいとよければ、時世のおぼえ重くてものしたまへど、世の中あはれにあぢきなく、ものの折ごとに恋しくおぼえたまへば、「ことの聞こえありて罪に当たるともいかがはせむ」と思しなして、にはかに参うでたまふ。
うち見るより、めづらしううれしきにも、ひとつ涙ぞこぼれける。
住まひたまへるさま、言はむかたなく唐めいたり。
住まひたまへるさま、言はむかたなく唐めいたり。所のさま、絵に描きたらむやうなるに、竹編める垣しわたして、石の階、松の柱、おろそかなるものから、めづらかにをかし。
山賤めきて、ゆるし色の黄がちなるに、青鈍の狩衣、指貫、うちやつれて、ことさらに田舎びもてなしたまへるしも、いみじう、見るに笑まれてきよらなり。
取り使ひたまへる調度も、かりそめにしなして、御座所もあらはに見入れらる。碁、双六盤、調度、弾棊の具など、田舎わざにしなして、念誦の具、行なひ勤めたまひけりと見えたり。もの参れるなど、ことさら所につけ、興ありてしなしたり。
海人ども漁りして、貝つ物持て参れるを、召し出でて御覧ず。浦に年経るさまなど問はせたまふに、さまざま安げなき身の愁へを申す。そこはかとなくさへづるも、「心の行方は同じこと。何か異なる」と、あはれに見たまふ。御衣どもなどかづけさせたまふを、生けるかひありと思へり。御馬ども近う立てて、見やりなる倉か何ぞなる稲取り出でて飼ふなど、めづらしう見たまふ。
「飛鳥井」すこし歌ひて、月ごろの御物語、泣きみ笑ひみ、
「若君の何とも世を思さでものしたまふ悲しさを、大臣の明け暮れにつけて思し嘆く」
など語りたまふに、堪へがたく思したり。尽きすべくもあらねば、なかなか片端もえまねばず。
夜もすがらまどろまず、文作り明かしたまふ。さ言ひながらも、ものの聞こえをつつみて、急ぎ帰りたまふ。いとなかなかなり。御土器参りて、
「酔ひの悲しび涙そそく春の盃の裏」
と、諸声に誦じたまふ。御供の人も涙を流す。おのがじし、はつかなる別れ惜しむべかめり。
朝ぼらけの空に雁連れて渡る。
朝ぼらけの空に雁連れて渡る。主人の君、
「故郷をいづれの春か行きて見む
うらやましきは帰る雁がね」
宰相、さらに立ち出でむ心地せで、
「あかなくに雁の常世を立ち別れ
花の都に道や惑はむ」
さるべき都の苞など、由あるさまにてあり。主人の君、かくかたじけなき御送りにとて、黒駒たてまつりたまふ。
「ゆゆしう思されぬべけれど、風に当たりては、嘶えぬべければなむ」
と申したまふ。世にありがたげなる御馬のさまなり。
「形見に偲びたまへ」とて、いみじき笛の名ありけるなどばかり、
「形見に偲びたまへ」
とて、いみじき笛の名ありけるなどばかり、人咎めつべきことは、かたみにえしたまはず。
日やうやうさし上がりて、心あわたたしければ、顧みのみしつつ出でたまふを、見送りたまふけしき、いとなかなかなり。
「いつまた対面は」
と申したまふに、主人、
「雲近く飛び交ふ鶴も空に見よ
我は春日の曇りなき身ぞ
かつは頼まれながら、かくなりぬる人、昔のかしこき人だに、はかばかしう世にまたまじらふこと難くはべりければ、何か、都のさかひをまた見むとなむ思ひはべらぬ」
などのたまふ。宰相、
「たづかなき雲居にひとり音をぞ鳴く
翼並べし友を恋ひつつ
かたじけなく馴れきこえはべりて、いとしもと悔しう思ひたまへらるる折多く」
など、しめやかにもあらで帰りたまひぬる名残、いとど悲しう眺め暮らしたまふ。
弥生の朔日に出で来たる巳の日、
弥生の朔日に出で来たる巳の日、
「今日なむ、かく思すことある人は、御禊したまふべき」
と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせたまふ。舟にことことしき人形乗せて流すを見たまふに、よそへられて、
「知らざりし大海の原に流れ来て
ひとかたにやはものは悲しき」
とて、ゐたまへる御さま、さる晴れに出でて、言ふよしなく見えたまふ。
海の面うらうらと凪ぎわたりて、行方も知らぬに、来し方行く先思し続けられて、
「八百よろづ神もあはれと思ふらむ
犯せる罪のそれとなければ」
とのたまふに、にはかに風吹き出でて、空もかき暮れぬ。御祓へもし果てず、立ち騒ぎたり。肱笠雨とか降りきて、いとあわたたしければ、みな帰りたまはむとするに、笠も取りあへず。さる心もなきに、よろづ吹き散らし、またなき風なり。波いといかめしう立ちて、人びとの足をそらなり。海の面は、衾を張りたらむやうに光り満ちて、雷鳴りひらめく。落ちかかる心地して、からうしてたどり来て、
「かかる目は見ずもあるかな」
「風などは吹くも、けしきづきてこそあれ。あさましうめづらかなり」
と惑ふに、なほ止まず鳴りみちて、雨の脚当たる所、徹りぬべく、はらめき落つ。「かくて世は尽きぬるにや」と、心細く思ひ惑ふに、君は、のどやかに経うち誦じておはす。
暮れぬれば、雷すこし鳴り止みて、風ぞ、夜も吹く。
「多く立てつる願の力なるべし」
「今しばし、かくあらば、波に引かれて入りぬべかりけり」
「高潮といふものになむ、とりあへず人そこなはるるとは聞けど、いと、かかることは、まだ知らず」
と言ひあへり。
暁方、みなうち休みたり。君もいささか寝入りたまへれば、そのさまとも見えぬ人来て、
「など、宮より召しあるには参りたまはぬ」
とて、たどりありくと見るに、おどろきて、「さは、海の中の龍王の、いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけり」と思すに、いとものむつかしう、この住まひ堪へがたく思しなりぬ。
(つづき)
(9.のつづき)
(つづき)
(10.のつづき)
講義を終えて
・両陛下のサイパン訪問
「(サイパンに)両陛下がいらしたので、それを歓迎する催しをいろいろしてくれたという。その一つに、戦争中にあそこへ行っていた日本兵たちから、もともと軍人だけではなくて、それ以前から日本の製糖会社―日本の戦前の砂糖はあそこでつくっていたんだそうですけれども、そういう人たちの影響ももちろんあったわけでしょう。両陛下が立たれたら、まず歌い出したのが『海行かば』なんだそうです。それをあの島の人たちは歓迎の歌だと思っていて、非常に明るい顔で明るい感じで歌ってくれた。両陛下は、『海行かば』が始まって、初めはちょっと怪訝な、戸惑ったような様子をなすったけれども、すぐに向こうの人たちの気持ちを察しられて、明るくお聞きになっていた。それから、次々にそのころの歌が歌われて、最後は『ラバウル小唄』で終わったんだという話でした。」
・家持の歌
海行かば水漬(みづ)く屍(かばね)山行かば草むす屍大君の辺(へ)にこそ死なめ顧みはせじ 万葉集 巻18
丈夫は 名をし立つべし 後の代に 聞き継ぐ人も 語り継ぐがね 万葉集 巻19
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第68回 「須磨」より その5 |
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収録日 | 2005年7月16日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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