第71回 「明石」より その2
住吉の神に源氏と娘の結縁を祈願している入道の住まいから少し離れた邸宅で、源氏は、入道と昔の事など語り、娘の琴の音を耳にする。紫の上と源氏は互いに辛い思いをしている。「いろごのみ」の話。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- 明石の入道、行なひ勤めたるさま、いみじう思ひ澄ましたるを
- ここにはかしこまりて、みづからもをさをさ参らず
- かうは馴れきこゆれど、いと気高う心恥づかしき御ありさまに
- 四月になりぬ。更衣の御装束、御帳の帷子など
- 京よりも、うちしきりたる御とぶらひども
- 女のいろごのみについて
- 久しう手触れたまはぬ琴を、袋より取り出でたまひて
- さらに、背きにし世の中も取り返し思ひ出でぬべくはべり。
- (休憩)最近刊行された3点の書籍について
- 音もいと二なう出づる琴どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも
- 君、「琴を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに、
- 今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐めき、
- いたく更けゆくままに、浜風涼しうて、
- 横さまの罪に当たりて、思ひかけぬ世界にただよふも、
- 思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して、
明石の入道、行なひ勤めたるさま、いみじう思ひ澄ましたるを
明石の入道、行なひ勤めたるさま、いみじう思ひ澄ましたるを、ただこの娘一人をもてわづらひたるけしき、いとかたはらいたきまで、時々漏らし愁へきこゆ。御心地にも、をかしと聞きたまひし人なれば、「かくおぼえなくてめぐりおはしたるも、さるべき契りあるにや」と思しながら、「なほ、かう身を沈めたるほどは、行なひより他(ほか)のことは思はじ。都の人も、ただなるよりは、言ひしに違(たが)ふと思さむも、心恥づかしう」思さるれば、けしきだちたまふことなし。ことに触れて、「心ばせ、ありさま、なべてならずもありけるかな」と、ゆかしう思されぬにしもあらず。
ここにはかしこまりて、みづからもをさをさ参らず
ここにはかしこまりて、みづからもをさをさ参らず、もの隔たりたる下(しも)の屋にさぶらふ。さるは、明け暮れ見たてまつらまほしう、飽かず思ひきこえて、「いかで思ふ心を叶へむ」と、仏(ぶっ)神(しん)をいよいよ念じたてまつる。
年は六十ばかりになりたれど、いときよげにあらまほしう、行なひさらぼひて、人のほどのあてはかなればにやあらむ、うちひがみほれぼれしきことはあれど、いにしへのものをも見知りて、ものきたなからず、よしづきたることも交れれば、昔物語などせさせて聞きたまふに、すこしつれづれの紛れなり。
年ごろ、公(おほやけ)私(わたくし)御暇(いとま)なくて、さしも聞き置きたまはぬ世の古事(ふるごと)どもくづし出でて、「かかる所をも人をも、見ざらましかば、さうざうしくや」とまで、興ありと思すことも交る。
かうは馴れきこゆれど、いと気高う心恥づかしき御ありさまに
かうは馴れきこゆれど、いと気(け)高う心恥づかしき御ありさまに、さこそ言ひしか、つつましうなりて、わが思ふことは心のままにもえうち出できこえぬを、「心もとなう、口惜し」と、母君と言ひ合はせて嘆く。
正身(さうじみ)は、「おしなべての人だに、めやすきは見えぬ世界に、世にはかかる人もおはしけり」と見たてまつりしにつけて、身のほど知られて、いと遥かにぞ思ひきこえける。親たちのかく思ひあつかふを聞くにも、「似げなきことかな」と思ふに、ただなるよりはものあはれなり。
四月になりぬ。更衣の御装束、御帳の帷子など
四月になりぬ。更衣(ころもがへ)の御装束(さうぞく)、御帳の帷子(かたびら)など、よしあるさまにし出づ。よろづに仕うまつりいとなむを、「いとほしう、すずろなり」と思せど、人ざまのあくまで思ひ上がりたるさまのあてなるに、思しゆるして見たまふ。
京よりも、うちしきりたる御とぶらひども
京よりも、うちしきりたる御とぶらひども、たゆみなく多かり。のどやかなる夕月夜に、海の上曇りなく見えわたれるも、住み馴れたまひし故郷の池水に、思ひまがへられたまふに、言はむかたなく恋しきこと、何方(いづかた)となく行方なき心地したまひて、ただ目の前に見やらるるは、淡路島なりけり。
「あはと、遥かに」などのたまひて、
「あはと見る淡路の島のあはれさへ
残るくまなく澄める夜の月」
・「淡路島」の持つ古代的要素―伊耶那岐・伊耶那美の国生みの神話から
→「女のいろごのみ」の一つ
女のいろごのみについて
・いろごのみ=「いろ」「このむ」→神の心にかなう理想の異性を選ぶ
・古典を丁寧にみると、男の「いろごのみ」の前に、女の「いろごのみ」が大事な要素
・「いろごのみなりける女」―『伊勢物語』二十五段目より
むかし、男ありけり。あはじとも言はざりける女の、さすがなりけるがもとに、言ひやりける、
秋の野に笹分けし朝の袖よりも
あはで寝(ぬ)る夜(よ)ぞひぢまさりける
色好みなる女、返し、
みるめなきわが身を浦と知らねばや
離(か)れなで海人(あま)の足たゆく来る
「この「いろごのみなる女」の『いろごのみ』は、決してマイナスの、つまり後世の『好色』のような内容ではないことは確かですね。やはり恋のあはれ、恋の心情、恋の心というものを本当に身につけている、体得している、そういうすばらしい女性ということで、この物語では語っているはずです。もちろん後世の注釈書の中には、マイナスの感じで解いている注釈書もたくさんありますけれども、実はそうではないはずです。」
・『伊勢物語』二十八段目より
むかし、色好みなりける女、いでていにければ、
などてかくあふごかたみになりにけむ
水もらさじとむすびしものを
「女のいろごのみの方は、もっと宗教的な要素が深くなって、聖なる女性の資格として聞くことのできた神の言葉、神の理想を、自分の信頼する男性に伝えて、神の理想をこの世に実現させるという第二義の政治的な政(まつりごと)に拡大させていくわけです。」
・古代の女のいろごのみの面影を残す出雲系神話(※)
※ 関連講座:
源氏物語全講会 第15回 帚木より -その6-
4.伝承の世界をたぐりだす (『古事記』を読む) ~ 7.須勢理毘売(すせりびめ)の嫉妬 その2
https://angel-zaidan.org/genji/015/#title-04
源氏物語全講会 第38回 若紫より -その5-
1.出雲系の物語と歌の中にうかがえる古代人の理想 ~ 4.八千矛の神の歌 3
https://angel-zaidan.org/genji/038/#title-05
「源氏物語の光源氏のいろごのみを理解するためには、もう一つ前の『いろごのみなる女』の理想、道徳観といったものを考えておく必要もあるのです」
久しう手触れたまはぬ琴を、袋より取り出でたまひて
久しう手触れたまはぬ琴(きん)を、袋より取り出でたまひて、はかなくかき鳴らしたまへる御さまを、見たてまつる人もやすからず、あはれに悲しう思ひあへり。
「広陵」といふ手を、ある限り弾きすましたまへるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音に合ひて、心ばせある若人は身にしみて思ふべかめり。何とも聞きわくまじきこのもかのものしはふる人どもも、すずろはしくて、浜風をひきありく。
入道もえ堪へで、供養法たゆみて、急ぎ参れり。
さらに、背きにし世の中も取り返し思ひ出でぬべくはべり。
「さらに、背きにし世の中も取り返し思ひ出でぬべくはべり。後の世に願ひはべる所のありさまも、思うたまへやらるる夜の、さまかな」
と泣く泣く、めできこゆ。
わが御心にも、折々の御遊び、その人かの人の琴笛、もしは声の出でしさまに、時々につけて、世にめでられたまひしありさま、帝よりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてまつりたまひしを、人の上もわが御身のありさまも、思し出でられて、夢の心地したまふままに、かき鳴らしたまへる声も、心すごく聞こゆ。
古人(ふるびと)は涙もとどめあへず、岡辺に、琵琶、箏(さう)の琴取りにやりて、入道、琵琶の法師になりて、いとをかしう珍しき手一つ二つ弾きたり。
箏の御琴参りたれば、少し弾きたまふも、さまざまいみじうのみ思ひきこえたり。いと、さしも聞こえぬ物の音(ね)だに、折からこそはまさるものなるを、はるばると物のとどこほりなき海づらなるに、なかなか、春秋の花紅葉(もみぢ)の盛りなるよりは、ただそこはかとなう茂れる蔭ども、なまめかしきに、水鶏(くひな)のうちたたきたるは、「誰(た)が門(かど)さして」と、あはれにおぼゆ。
◆〔評釈〕琴・箏・琵琶/演奏法の伝授と物語(7分45秒~15分35秒)
(休憩)最近刊行された3点の書籍について
『すばる歌仙』(丸谷才一、大岡 信、岡野弘彦 著 集英社)
『おっとりと論じよう 丸谷才一対談集』 (文藝春秋)
『祖国』 (岡野 弘彦、 福島 泰樹 著 鳥影社 )
音もいと二なう出づる琴どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも
音(ね)もいと二なう出づる琴(こと)どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも、御心とまりて、
「これは、女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそ、をかしけれ」
と、おほかたにのたまふを、入道はあいなくうち笑みて、
「あそばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらむ。なにがし、延喜の御手より弾き伝へたること、三代になむなりはべりぬるを、かうつたなき身にて、この世のことは捨て忘れはべりぬるを、もののせちにいぶせき折々は、かき鳴らしはべりしを、あやしう、まねぶ者のはべるこそ、自然(じねん)にかの先(ぜん)大王の御手に通ひてはべれ。山伏のひが耳に、松風を聞きわたしはべるにやあらむ。いかで、これ忍びて聞こしめさせてしがな」
と聞こゆるままに、うちわななきて、涙落とすべかめり。
君、「琴を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに、
君、
「琴(こと)を琴(こと)とも聞きたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな」
とて、押しやりたまふに、
「あやしう、昔より箏(さう)は、女なむ弾き取るものなりける。嵯峨(さが)の御伝へにて、女五の宮、さる世の中の上手(じやうず)にものしたまひけるを、その御筋にて、取り立てて伝ふる人なし。すべて、ただ今世に名を取れる人びと、掻き撫での心やりばかりにのみあるを、ここにかう弾きこめたまへりける、いと興(きやう)ありけることかな。いかでかは、聞くべき」
とのたまふ。
入道、「聞こしめさむには、何の憚りかはべらむ。御前(おまへ)に召しても。商(あき)人(びと)の中にてだにこそ、古(ふる)琴(ごと)聞きはやす人は、はべりけれ。琵琶なむ、まことの音を弾きしづむる人、いにしへも難(かた)うはべりしを、をさをさとどこほることなうなつかしき手など、筋ことになむ。いかでたどるにかはべらむ。荒き波の声に交るは、悲しくも思うたまへられながら、かき積むるもの嘆かしさ、紛るる折々もはべり」
など好きゐたれば、をかしと思して、箏(さう)の琴(こと)取り替へて賜はせたり。
げに、いとすぐしてかい弾きたり。
今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐めき、
今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐めき、ゆの音(ね)深う澄ましたり。「伊勢の海」ならねど、「清き渚(なぎさ)に貝や拾はむ」など、声よき人に歌はせて、我も時々拍子とりて、声うち添へたまふを、琴弾きさしつつ、めできこゆ。御くだものなど、めづらしきさまにて参らせ、人びとに酒強(し)ひそしなどして、おのづからもの忘れしぬべき夜(よ)のさまなり。
いたく更けゆくままに、浜風涼しうて、
いたく更けゆくままに、浜風涼しうて、月も入り方になるままに、澄みまさり、静かなるほどに、御物語残りなく聞こえて、この浦に住みはじめしほどの心づかひ、後の世を勤むるさま、かきくづし聞こえて、この娘のありさま、問はず語りに聞こゆ。をかしきものの、さすがにあはれと聞きたまふ節もあり。
「いと取り申しがたきことなれど、わが君、かうおぼえなき世界に、仮にても、移ろひおはしましたるは、もし、年ごろ老(おい)法師の祈り申しはべる神仏のあはれびおはしまして、しばしのほど、御心をも悩ましたてまつるにやとなむ思うたまふる。
その故は、住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ。女(め)の童(わらは)のいときなうはべりしより、思ふ心はべりて、年ごとの春秋ごとに、かならずかの御社に参ることなむはべる。昼夜の六時の勤めに、みづからの蓮(はちす)の上の願ひをば、さるものにて、ただこの人を高き本意(ほい)叶へたまへと、なむ念じはべる。
前(さき)の世の契りつたなくてこそ、かく口惜しき山賤(やまがつ)となりはべりけめ、親、大臣(おとど)の位を保ちたまへりき。みづからかく田舎の民となりにてはべり。次々、さのみ劣りまからば、何の身にかなりはべらむと、悲しく思ひはべるを、これは、生れし時より頼むところなむはべる。いかにして都の貴(たか)き人にたてまつらむと思ふ心、深きにより、ほどほどにつけて、あまたの人の嫉(そね)みを負ひ、身のためからき目を見る折々も多くはべれど、さらに苦しみと思ひはべらず。命の限りは狭(せば)き衣にもはぐくみはべりなむ。かくながら見捨てはべりなば、波のなかにも交り失(う)せね、となむ掟(おき)てはべる」
など、すべてまねぶべくもあらぬことどもを、うち泣きうち泣き聞こゆ。君も、ものをさまざま思し続くる折からは、うち涙ぐみつつ聞こしめす。
横さまの罪に当たりて、思ひかけぬ世界にただよふも、
「横さまの罪に当たりて、思ひかけぬ世界にただよふも、何の罪にかとおぼつかなく思ひつるを、今宵(こよひ)の御物語に聞き合はすれば、げに浅からぬ前(さき)の世の契りにこそはと、あはれになむ。などかは、かくさだかに思ひ知りたまひけることを、今までは告げたまはざりつらむ。都離れし時より、世の常なきもあぢきなう、行なひより他(ほか)のことなくて月日を経(ふ)るに、心も皆くづほれにけり。かかる人ものしたまふとは、ほの聞きながら、いたづら人(びと)をばゆゆしきものにこそ思ひ捨てたまふらめと、思ひ屈(く)しつるを、さらば導きたまふべきにこそあなれ。心細き一人寝の慰めにも」
などのたまふを、限りなくうれしと思へり。
「一人寝は君も知りぬやつれづれと
思ひ明かしの浦さびしさを
まして年月思ひたまへわたるいぶせさを、推し量らせたまへ」
と聞こゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがにゆゑなからず。
「されど、浦なれたまへらむ人は」とて、
「旅衣うら悲しさに明かしかね
草の枕は夢も結ばず」
と、うち乱れたまへる御さまは、いとぞ愛敬づき、言ふよしなき御けはひなる。数知らぬことども聞こえ尽くしたれど、うるさしや。ひがことどもに書きなしたれば、いとど、をこにかたくなしき入道の心ばへも、あらはれぬべかめり。
思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して、
思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して、涼しう思ひゐたるに、またの日の昼つ方、岡辺に御文つかはす。心恥づかしきさまなめるも、なかなか、かかるものの隈にぞ、思ひの外(ほか)なることも籠もるべかめると、心づかひしたまひて、高麗(こま)の胡桃(くるみ)色の紙に、えならずひきつくろひて、
「をちこちも知らぬ雲居に眺めわび
かすめし宿の梢をぞ訪ふ
『思ふには』」
とばかりやありけむ。
入道も、人知れず待ちきこゆとて、かの家に来ゐたりけるもしるければ、御使いとまばゆきまで酔はす。
御返り、いと久し。内に入りてそそのかせど、娘はさらに聞かず。いと恥づかしげなる御文のさまに、さし出でむ手つきも、恥づかしうつつましう。人の御ほど、わが身のほど思ふに、こよなくて、心地悪(あ)しとて寄り臥しぬ。
言ひわびて、入道ぞ書く。
「いとかしこきは、田舎びてはべる袂(たもと)に、つつみあまりぬるにや。さらに見たまへも、及びはべらぬかしこさになむ。さるは、
眺むらむ同じ雲居を眺むるは
思ひも同じ思ひなるらむ
となむ見たまふる。いと好き好きしや」
と聞こえたり。陸奥国(みちのくに)紙に、いたう古めきたれど、書きざまよしばみたり。「げにも、好きたるかな」と、めざましう見たまふ。御使に、なべてならぬ玉裳などかづけたり。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第71回 「明石」より その2 |
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収録日 | 2005年12月3日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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