第72回 「明石」より その3
都でも「もののさとし」が多く朱雀の帝は御目を患う。入道は娘に逢うよう取り計らい、源氏は逢う。ほのかな気配が六条の御息所と似ており魅かれる。紫の上と源氏は絵を描いた文等交わしたりする。
講師:岡野弘彦
はじめに
・歌劇のアリアに徹夜で取り組む
・古代の「いろごのみ」の面影
「『古事記』、それから間に『万葉集』を置いて、『伊勢物語』、『源氏物語』と入ってくると、『源氏物語』の奥行きといいましょうか、『源氏物語』だけをぱっと見て源氏の世界だけで物を考えていても、それだけでも大変ですけれども、わかってくることは限られるのです。源氏以前の、殊に「いろごのみ」という問題の大きな脈絡は、ほとんど源氏以前にあるのです。」
またの日、「宣旨書きは、見知らずなむ」とて、
またの日、
「宣旨書きは、見知らずなむ」とて、
「いぶせくも心にものを悩むかな
やよやいかにと問ふ人もなみ
『言ひがたみ』」と、このたびは、いといたうなよびたる薄様(うすやう)に、いとうつくしげに書きたまへり。若き人のめでざらむも、いとあまり埋れいたからむ。めでたしとは見れど、なずらひならぬ身のほどの、いみじうかひなければ、なかなか、世にあるものと、尋ね知りたまふにつけて、涙ぐまれて、さらに例の動(どう)なきを、せめて言はれて、浅からず染めたる紫の紙に、墨つき濃く薄く紛らはして、
「思ふらむ心のほどややよいかに
まだ見ぬ人の聞きか悩まむ」
手のさま、書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう、上(じゃう)衆(ず)めきたり。
京のことおぼえて、をかしと見たまへど、
京のことおぼえて、をかしと見たまへど、うちしきりて遣はさむも、人目つつましければ、二、三日隔てつつ、つれづれなる夕暮れ、もしは、ものあはれなる曙などやうに紛らはして、折々、人も同じ心に見知りぬべきほど推し量りて、書き交はしたまふに、似げなからず。
心深う思ひ上がりたるけしきも、見ではやまじと思すものから、良清が領(らう)じて言ひしけしきもめざましう、年ごろ心つけてあらむを、目の前に思ひ違(たが)へむもいとほしう思しめぐらされて、「人進み参らば、さる方にても、紛らはしてむ」と思せど、女はた、なかなかやむごとなき際(きは)の人よりも、いたう思ひ上がりて、ねたげにもてなしきこえたれば、心比べにてぞ過ぎける。
京のことを、かく関隔たりては、
京のことを、かく関隔たりては、いよいよおぼつかなく思ひきこえたま ひて、「いかにせまし。たはぶれにくくもあるかな。忍びてや、迎へたて まつりてまし」と、思し弱る折々あれど、「さりとも、かくてやは、年を重ねむ。今さらに人悪(わ)ろきことをば」と、思し静めたり。
その年、朝廷に、もののさとししきりて、
その年、朝廷(おほやけ)に、もののさとししきりて、もの騒がしきこと多かり。三月十三日、雷(かみ)鳴りひらめき、雨風騒がしき夜、帝の御夢に、院の帝、御前(おまへ)の御階(みはし)のもとに立たせたまひて、御けしきいと悪(あ)しうて、にらみきこえさせたまふを、かしこまりておはします。聞こえさせたまふことども多かり。源氏の御事なりけむかし。
いと恐ろしう、いとほしと思して、后に聞こえさせたまひければ、
「雨など降り、空乱れたる夜は、思ひなしなることはさぞはべる。軽々しきやうに、思し驚くまじきこと」
と聞こえたまふ。
にらみたまひしに、見合はせたまふと見しけにや、御目患ひたまひて、堪へがたう悩みたまふ。御つつしみ、内裏(うち)にも宮にも限りなくせさせたまふ。
太政大臣亡せたまひぬ。ことわりの御齢なれど、
太政大臣(おほきおとど)亡せたまひぬ。ことわりの御齢(よはひ)なれど、次々におのづから騒がしきことあるに、大宮もそこはかとなう患ひたまひて、ほど経(ふ)れば弱りたまふやうなる、内裏(うち)に思し嘆くこと、さまざまなり。
「なほ、この源氏の君、まことに犯しなきにてかく沈むならば、かならずこの報いありなむとなむおぼえはべる。今は、なほもとの位をも賜ひてむ」
とたびたび思しのたまふを、
「世のもどき、軽々しきやうなるべし。罪に懼ぢて都を去りし人を、三年をだに過ぐさず許されむことは、世の人もいかが言ひ伝へはべらむ」
など、后かたく諌(いさ)めたまふに、思し憚(はばか)るほどに月日かさなりて、御悩みども、さまざまに重りまさらせたまふ。
明石には、例の、浜は秋風のことなるに、
明石には、例の、浜は秋風のことなるに、一人寝もまめやかにものわびしうて、入道にも折々語らはせたまふ。
「とかく紛らはして、こち参らせよ」
とのたまひて、渡りたまはむことをばあるまじう思したるを、正身(さうじみ)はた、さらに思ひ立つべくもあらず。
「いと口惜しき際(きは)の田舎人(ゐなかびと)こそ、仮に下りたる人のうちとけ言(こと)につきて、さやうに軽らかに語らふわざをもすなれ、人数(かず)にも思されざらむものゆゑ、我はいみじきもの思ひをや添へむ。かく及びなき心を思へる親たちも、世(よ)籠(ご)もりて過ぐす年月こそ、あいな頼みに、行く末心にくく思ふらめ、なかなかなる心をや尽くさむ」と思ひて、「ただこの浦におはせむほど、かかる御文ばかりを聞こえかはさむこそ、おろかならね。年ごろ音(おと)にのみ聞きて、いつかはさる人の御ありさまをほのかにも見たてまつらむなど、思ひかけざりし御住まひにて、まほならねどほのかにも見たてまつり、世になきものと聞き伝へし御琴の音(ね)をも風につけて聞き、明け暮れの御ありさまおぼつかなからで、かくまで世にあるものと思し尋ぬるなどこそ、かかる海人(あま)のなかに朽(く)ちぬる身にあまることなれ」
など思ふに、いよいよ恥づかしうて、つゆも気(け)近きことは思ひ寄らず。
親たちは、ここらの年ごろの祈りの叶ふべきを思ひながら、
親たちは、ここらの年ごろの祈りの叶ふべきを思ひながら、
「ゆくりかに見せたてまつりて、思し数(かず)まへざらむ時、いかなる嘆きをかせむ」
と思ひやるに、ゆゆしくて、
「めでたき人と聞こゆとも、つらういみじうもあるべきかな。目に見えぬ仏、神を頼みたてまつりて、人の御心をも、宿世(すくせ)をも知らで」
など、うち返し思ひ乱れたり。君は、
「このころの波の音(おと)に、かの物の音(ね)を聞かばや。さらずは、かひなくこそ」
など、常はのたまふ。
忍びて吉しき日見て、母君のとかく思ひわづらふを聞き入れず、
忍びて吉(よろ)しき日見て、母君のとかく思ひわづらふを聞き入れず、弟子どもなどにだに知らせず、心一つに立ちゐ、かかやくばかりしつらひて、十二、三日の月のはなやかにさし出でたるに、ただ「あたら夜の」と聞こえたり。
君は、「好きのさまや」と思せど、御直衣(なほし)たてまつりひきつくろひて、夜更かして出でたまふ。御車は二なく作りたれど、所狭(せ)しとて、御馬にて出でたまふ。惟光などばかりをさぶらはせたまふ。やや遠く入る所なりけり。道のほども、四方(よも)の浦々見わたしたまひて、思ふどち見まほしき入江の月影にも、まづ恋しき人の御ことを思ひ出できこえたまふに、やがて馬引き過ぎて、赴きぬべく思す。
「秋の夜の月毛の駒よ我が恋ふる
雲居を翔(かけ)れ時の間も見む」
と、うちひとりごたれたまふ。
造れるさま、木(こ)深く、いたき所まさりて、
造れるさま、木(こ)深く、いたき所まさりて、見どころある住まひなり。海のつらはいかめしうおもしろく、これは心細く住みたるさま、「ここにゐて、思ひ残すことはあらじとすらむ」と、思しやらるるに、ものあはれなり。三昧堂(さんまいどう)近くて、鐘の声、松風に響きあひて、もの悲しう、岩に生ひたる松の根ざしも、心ばへあるさまなり。前栽どもに虫の声を尽くしたり。ここかしこのありさまなど御覧ず。娘住ませたる方は、心ことに磨きて、月入れたる真木(まき)の戸口、けしきことに押し開けたり。
うちやすらひ、何かとのたまふにも、「かうまでは見えたてまつらじ」と深う思ふに、もの嘆かしうて、うちとけぬ心ざまを、「こよなうも人めきたるかな。さしもあるまじき際の人だに、かばかり言ひ寄りぬれば、心強うしもあらずならひたりしを、いとかくやつれたるに、あなづらはしきにや」とねたう、さまざまに思し悩めり。「情けなうおし立たむも、ことのさまに違(たが)へり。心比べに負けむこそ、人悪(わ)ろけれ」など、乱れ怨みたまふさま、げにもの思ひ知らむ人にこそ見せまほしけれ。
近き几帳の紐(ひも)に、箏(さう)の琴の弾き鳴らされたるも、けはひしどけなく、うちとけながら掻きまさぐりけるほど見えてをかしければ、
「この、聞きならしたる琴をさへや」
など、よろづにのたまふ。
むつごとを語りあはせむ人もがな 憂き世の夢もなかば覚むやと
「むつごとを語りあはせむ人もがな
憂き世の夢もなかば覚むやと」
「明けぬ夜にやがて惑へる心には
いづれを夢とわきて語らむ」
ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり。何心もなくうちとけてゐたりけるを、かうものおぼえぬに、いとわりなくて、近かりける曹司の内に入りて、いかで固めけるにか、いと強きを、しひてもおし立ちたまはぬさまなり。されど、さのみもいかでかあらむ。
人ざま、いとあてに、そびえて、心恥づかしきけはひぞしたる。かうあながちなりける契りを思すにも、浅からずあはれなり。御心ざしの、近まさりするなるべし、常は厭(いと)はしき夜の長さも、とく明けぬる心地すれば、「人に知られじ」と思すも、心あわたたしうて、こまかに語らひ置きて、出でたまひぬ。
◆〔評釈〕光源氏と明石の君の歌/逢瀬の語り
御文、いと忍びてぞ今日はある。
御文、いと忍びてぞ今日はある。あいなき御心の鬼なりや。ここにも、かかることいかで漏らさじとつつみて、御使ことことしうももてなさぬを、胸いたく思へり。
かくて後は、忍びつつ時々おはす。「ほどもすこし離れたるに、おのづからもの言ひさがなき海人(あま)の子もや立ちまじらむ」と思し憚るほどを、「さればよ」と思ひ嘆きたるを、「げに、いかならむ」と、入道も極楽の願ひをば忘れて、ただこの御けしきを待つことにはす。今さらに心を乱るも、いといとほしげなり。
二条の君の、風のつてにも漏り聞きたまはむことは、
二条の君の、風のつてにも漏り聞きたまはむことは、「たはぶれにても、心の隔てありけると、思ひ疎(うと)まれたてまつらむは、心苦しう恥づかしう」思さるるも、あながちなる御心ざしのほどなりかし。「かかる方のことをば、さすがに、心とどめて怨みたまへりし折々、などて、あやなきすさびごとにつけても、さ思はれたてまつりけむ」など、取り返さまほしう、人のありさまを見たまふにつけても、恋しさの慰む方なければ、例よりも御文こまやかに書きたまひて、奥に、
「まことや、我ながら心より外(ほか)なるなほざりごとにて、疎まれたてまつりし節々を、思ひ出づるさへ胸いたきに、また、あやしうものはかなき夢をこそ見はべりしか。かう聞こゆる問はず語りに、隔てなき心のほどは思し合はせよ。『誓ひしことも』」など書きて、
「何事につけても、
しほしほとまづぞ泣かるるかりそめの
みるめは海人のすさびなれども」
とある御返り、何心なくらうたげに書きて、はてに、
「忍びかねたる御夢語りにつけても、思ひ合はせらるること多かるを、
うらなくも思ひけるかな契りしを松より波は越えじものぞと」
おいらかなるものから、ただならずかすめたまへるを、いとあはれに、うち置きがたく見たまひて、名残久しう、忍びの旅寝もしたまはず。
女、思ひしもしるきに、今ぞまことに身も投げつべき心地する。
女、思ひしもしるきに、今ぞまことに身も投げつべき心地する。
「行く末短げなる親ばかりを頼もしきものにて、いつの世に人並々になるべき身とは思はざりしかど、ただそこはかとなくて過ぐしつる年月は、何ごとをか心をも悩ましけむ、かういみじうもの思はしき世にこそありけれ」
と、かねて推し量り思ひしよりも、よろづに悲しけれど、なだらかにもてなして、憎からぬさまに見えたてまつる。
あはれとは月日に添へて思しませど、やむごとなき方の、おぼつかなくて年月を過ぐしたまふが、ただならずうち思ひおこせたまふらむが、いと心苦しければ、独り臥しがちにて過ぐしたまふ。
絵をさまざま描き集めて、思ふことどもを書きつけ、返りこと聞くべきさまにしなしたまへり。見む人の心に染みぬべきもののさまなり。いかでか、空に通ふ御心ならむ、二条の君も、ものあはれに慰む方なくおぼえたまふ折々、同じやうに絵を描き集めたまひつつ、やがて我が御ありさま、日記(にき)のやうに書きたまへり。いかなるべき御さまどもにかあらむ。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第72回 「明石」より その3 |
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収録日 | 2005年12月10日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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