源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第106回 「胡蝶」より その2

折口信夫の講義前の予習や小林秀雄が訪ねてきた時の様子等に触れ、本文に。四月の衣替えの頃、対の御方(玉葛)への便りが頻繁になっていることに、源氏は満足する。兵部卿宮、右大将(髭黒大将)、内の大殿の中将(柏木)からの文もある。源氏は評論し、玉葛を教え諭す。

はじめに

・現代語訳をするのに神経を使う『源氏物語』

・小林秀雄さんが折口を訪ねた時の話

・折口信夫の源氏観・宣長観

・独創的だった折口信夫の古事記読解

・日本人の持つ伝統的な「いろごのみ」

更衣の今めかしう改まれるころほひ、空のけしきなどさへ、

 更衣の今めかしう改まれるころほひ、空のけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊びにて過ぐしたまふに、対の御方に、人びとの御文しげくなりゆくを、「思ひしこと」とをかしう思いて、ともすれば渡りたまひつつ御覧じ、さるべきには御返りそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけず苦しいことに思いたり。

兵部卿宮の、ほどなく焦られがましきわびごとどもを書き集めたまへる御文を

 兵部卿宮の、ほどなく焦られがましきわびごとどもを書き集めたまへる御文を御覧じつけて、こまやかに笑ひたまふ。
 「はやうより隔つることなう、あまたの親王たちの御中に、この君をなむ、かたみに取り分きて思ひしに、ただかやうの筋のことなむ、いみじう隔て思うたまひてやみにしを、世の末に、かく好きたまへる心ばへを見るが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ、御返りなど聞こえたまへ。すこしもゆゑあらむ女の、かの親王よりほかに、また言の葉を交はすべき人こそ世におぼえね。いとけしきある人の御さまぞや」
 と、若き人はめでたまひぬべく聞こえ知らせたまへど、つつましくのみ思いたり。

右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、

 右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、「恋の山には孔子の倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるも、さる方にをかしと、皆見比べたまふ中に、唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。
 「これは、いかなれば、かく結ぼほれたるにか」
 とて、引き開けたまへり。手いとをしうて、

 「思ふとも君は知らじなわきかへり
  岩漏る水に色し見えねば」

 書きざま今めかしうそぼれたり。
 「これはいかなるぞ」
 と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。

右近を召し出でて、「かやうに訪づれきこえむ人をば、

 右近を召し出でて、
 「かやうに訪づれきこえむ人をば、人選りして、応へなどはせさせよ。好き好きしうあざれがましき今やうの人の、便ないことし出でなどする、男の咎にしもあらぬことなり。
 我にて思ひしにも、あな情けな、恨めしうもと、その折にこそ、無心なるにや、もしはめざましかるべき際は、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたる便りごとは、心ねたうもてないたる、なかなか心立つやうにもあり。また、さて忘れぬるは、何の咎かはあらむ。
 ものの便りばかりのなほざりごとに、口疾う心得たるも、さらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり。すべて、女のものづつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしきことをも見知らむなむ、その積もりあぢきなかるべきを、宮、大将は、おほなおほななほざりごとをうち出でたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知らぬやうならむも、御ありさまに違へり。
 その際より下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをも分きたまへ。労をも数へたまへ」
 など聞こえたまへば、君はうち背きておはする、側目いとをかしげなり。

撫子の細長に、このころの花の色なる御小袿、あはひ気近う今めきて、

 撫子の細長に、このころの花の色なる御小袿、あはひ気近う今めきて、もてなしなども、さはいへど、田舎びたまへりし名残こそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見えたまひけれ、人のありさまをも見知りたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧なども、心してもてつけたまへれば、いとど飽かぬところなく、はなやかにうつくしげなり。他人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。
 右近も、うち笑みつつ見たてまつりて、「親と聞こえむには、似げなう若くおはしますめり。さし並びたまへらむはしも、あはひめでたしかし」と、思ひゐたり。

「さらに人の御消息などは、聞こえ伝ふることはべらず。

 「さらに人の御消息などは、聞こえ伝ふることはべらず。先々も知ろしめし御覧じたる三つ、四つは、引き返し、はしたなめきこえむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどしはべるめれど、御返りは、さらに。聞こえさせたまふ折ばかりなむ。それをだに、苦しいことに思いたる」
 と聞こゆ。

「さて、この若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたるけしきかな」

 「さて、この若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたるけしきかな」
 と、ほほ笑みて御覧ずれば、
 「かれは、執念うとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿の中将の、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知りたまへりける、伝へにてはべりける。また見入るる人もはべらざりしにこそ」
 と聞こゆれば、
 「いとらうたきことかな。下臈なりとも、かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さるなかにも、いとしづまりたる人なり。おのづから思ひあはする世もこそあれ。掲焉にはあらでこそ、言ひ紛らはさめ。見所ある文書きかな」
 など、とみにもうち置きたまはず。

「かう何やかやと聞こゆるをも、思すところやあらむと、

 「かう何やかやと聞こゆるをも、思すところやあらむと、ややましきを、かの大臣に知られたてまつりたまはむことも、まだ若々しう何となきほどに、ここら年経たまへる御仲にさし出でたまはむことは、いかがと思ひめぐらしはべる。なほ世の人のあめる方に定まりてこそは、人びとしう、さるべきついでもものしたまはめと思ふを。
 宮は、独りものしたまふやうなれど、人柄いといたうあだめいて、通ひたまふ所あまた聞こえ、召人とか、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞こゆる。
 さやうならむことは、憎げなうて見直いたまはむ人は、いとようなだらかにもて消ちてむ。すこし心に癖ありては、人に飽かれぬべきことなむ、おのづから出で来ぬべきを、その御心づかひなむあべき。

大将は、年経たる人の、いたうねび過ぎたるを、厭ひがてにと求むなれど、

 大将は、年経たる人の、いたうねび過ぎたるを、厭ひがてにと求むなれど、それも人びとわづらはしがるなり。さもあべいことなれば、さまざまになむ、人知れず思ひ定めかねはべる。
 かうざまのことは、親などにも、さはやかに、わが思ふさまとて、語り出でがたきことなれど、さばかりの御齢にもあらず。今は、などか何ごとをも御心に分いたまはざらむ。まろを、昔ざまになずらへて、母君と思ひないたまへ。御心に飽かざらむことは、心苦しく」
 など、いとまめやかにて聞こえたまへば、苦しうて、御いらへ聞こえむともおぼえたまはず。いと若々しきもうたておぼえて、
 「何ごとも思ひ知りはべらざりけるほどより、親などは見ぬものにならひはべりて、ともかくも思うたまへられずなむ」
 と、聞こえたまふさまのいとおいらかなれば、げにと思いて、
 「さらば世のたとひの、後の親をそれと思いて、おろかならぬ心ざしのほども、見あらはし果てたまひてむや」
 など、うち語らひたまふ。思すさまのことは、まばゆければ、えうち出でたまはず。けしきある言葉は時々混ぜたまへど、見知らぬさまなれば、すずろにうち嘆かれて渡りたまふ。

御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、

 御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまりたまうて、

 「ませのうちに根深く植ゑし竹の子の
  おのが世々にや生ひわかるべき
 思へば恨めしかべいことぞかし」

 と、御簾を引き上げて聞こえたまへば、ゐざり出でて、

 「今さらにいかならむ世か若竹の
  生ひ始めけむ根をば尋ねむ
 なかなかにこそはべらめ」

 と聞こえたまふを、いとあはれと思しけり。さるは、心のうちにはさも思はずかし。いかならむ折聞こえ出でむとすらむと、心もとなくあはれなれど、この大臣の御心ばへのいとありがたきを、
 「親と聞こゆとも、もとより見馴れたまはぬは、えかうしもこまやかならずや」
 と、昔物語を見たまふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知りたまへば、いとつつましう、心と知られたてまつらむことはかたかるべう、思す。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第106回 「胡蝶」より その2
収録日 2008年4月5日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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