源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第107回 「胡蝶」より その3

今日の箇所は心の機微に入ったところが多くて細やかな文章になります、と語り、本文に。殿(源氏)は、玉葛を大層愛しいものと思うと、(紫の)上に語ると、紫の上は信頼している玉葛が可哀想だと答える。雨上がりのしっとりと感じられる夕暮に、源氏は、夕顔の記憶よりもさらに格段にまさった感じがする玉葛の手を握る。玉葛は困惑する。源氏からの後朝の文に、玉葛は、気分が悪いから、私の方からはこれ以上申し上げませんとだけ返す。

殿は、いとどらうたしと思ひきこえたまふ。

 殿は、いとどらうたしと思ひきこえたまふ。上にも語り申したまふ。
 「あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけどころなくぞありし。この君は、もののありさまも見知りぬべく、気近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」
 など、ほめたまふ。ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば、思し寄りて、
 「ものの心得つべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふらむこそ、心苦しけれ」
 とのたまへば、
 「など、頼もしげなくやはあるべき」
 と聞こえたまへば、
 「いでや、われにても、また忍びがたう、もの思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは」
 と、ほほ笑みて聞こえたまへば、「あな、心疾」とおぼいて、
 「うたても思し寄るかな。いと見知らずしもあらじ」
 とて、わづらはしければ、のたまひさして、心のうちに、「人のかう推し量りたまふにも、いかがはあべからむ」と思し乱れ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ我が心のほども、思ひ知られたまうけり。 

心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。

 心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。
 雨のうち降りたる名残の、いとものしめやかなる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を見い出したまひて、
 「和してまた清し」
 とうち誦じたまうて、まづ、この姫君の御さまの、匂ひやかげさを思し出でられて、例の、忍びやかに渡りたまへり。
 手習などして、うちとけたまへりけるを、起き上がりたまひて、恥ぢらひたまへる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、
 「見そめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに昔ざまの匂ひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ」
 とて、涙ぐみたまへり。

箱の蓋なる御果物の中に、橘のあるをまさぐりて、

箱の蓋なる御果物の中に、橘のあるをまさぐりて、

 「橘の薫りし袖によそふれば
  変はれる身とも思ほえぬかな

 世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かくて見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思し疎むななよ」
 とて、御手をとらへたまへれば、女、かやうにもならひたまざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。

 「袖の香をよそふるからに橘の
  身さへはかなくなりもこそすれ」

 むつかしと思ひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり、肌つきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地したまて、今日はすこし思ふこと聞こえ知らせたまひける。
 女は、心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、
 「何か、かく疎ましとは思いたる。いとよくも隠して、人に咎めらるべくもあらぬ心のほどぞよ。さりげなくてをもて隠したまへ。浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なむするを、この訪づれきこゆる人びとには、思し落とすべくやはある。いとかう深き心ある人は、世にありがたかるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」
 とのたまふ。いとさかしらなる御親心なりかし。

雨はやみて、風の竹に生るほど、はなやかにさし出でたる月影、

 雨はやみて、風の竹に生るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人びとは、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、気近くもさぶらはず。
 常に見たてまつりたまふ御仲なれど、かくよき折しもありがたければ、言に出でたまへるついでの、御ひたぶる心にや、なつかしいほどなる御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、近やかに臥したまへば、いと心憂く、人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ。

「まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、

 「まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまの憂きことはあらましや」と悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、
 「かう思すこそつらけれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年経ぬる睦ましさに、かばかり見えたてまつるや、何の疎ましかるべきぞ。これよりあながちなる心は、よも見せたてまつらじ。おぼろけに忍ぶるにあまるほどを、慰むるぞや」
 とて、あはれげになつかしう聞こえたまふこと多かり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。
 わが御心ながらも、「ゆくりかにあはつけきこと」と思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜も更かさで出でたまひぬ。

「思ひ疎みたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。

 「思ひ疎みたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限りなく、そこひ知らぬ心ざしなれば、人の咎むべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しき慰めに、はかなきことをも聞こえむ。同じ心に応へなどしたまへ」
 と、いとこまかに聞こえたまへど、我にもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、
 「いとさばかりには見たてまつらぬ御心ばへを、いとこよなくも憎みたまふべかめるかな」
 と嘆きたまひて、
 「ゆめ、けしきなくてを」
 とて、出でたまひぬ。

女君も、御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、

 女君も、御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、世の中を知りたまはぬなかにも、すこしうち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねば、これより気近きさまにも思し寄らず、「思ひの外にもありける世かな」と、嘆かしきに、いとけしきも悪しければ、人びと、御心地悩ましげに見えたまふと、もて悩みきこゆ。
 「殿の御けしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。まことの御親と聞こゆとも、さらにかばかり思し寄らぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」
 など、兵部なども、忍びて聞こゆるにつけて、いとど思はずに、心づきなき御心のありさまを、疎ましう思ひ果てたまふにも、身ぞ心憂かりける。

またの朝、御文とくあり。悩ましがりて臥したまへれど、

 またの朝、御文とくあり。悩ましがりて臥したまへれど、人びと御硯など参りて、「御返りとく」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。
 「たぐひなかりし御けしきこそ、つらきしも忘れがたう。いかに人見たてまつりけむ。

  うちとけて寝も見ぬものを若草の
  ことあり顔にむすぼほるらむ

 幼くこそものしたまひけれ」
 と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ、
 「うけたまはりぬ。乱り心地の悪しうはべれば、聞こえさせぬ」
 とのみあるに、「かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふ、うたてある心かな。

色に出でたまひてのちは、「太田の松の」と思はせたることなく、

 色に出でたまひてのちは、「太田の松の」と思はせたることなく、むつかしう聞こえたまふこと多かれば、いとど所狭き心地して、おきどころなきもの思ひつきて、いと悩ましうさへしたまふ。
 かくて、ことの心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひきこえたるを、
 「かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。父大臣などの尋ね知りたまふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと」
 と、よろづにやすげなう思し乱る。
 宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞きたまうて、いとねむごろに聞こえたまふ。この岩漏る中将も、大臣の御許しを見てこそ、かたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨みきこえまどひありくめり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第107回 「胡蝶」より その3
収録日 2008年4月26日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成20年春期講座

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