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スタッフブログ エンゼルカレッジ広報部

田道間守

2017年5月15日 12:13

5月10日(水)に「お伊勢さん菓子博2017」(正式名は第27回全国菓子大博覧会・三重
)に行ってきました。雨が降ってきそうな平日でしたが、入場者で溢れていました。

「おかし文化ゾーン」にある「全国お菓子であい館」では全国各地から2,500点のお菓子が集まっています。それぞれが趣向をこらして展示されています。リーフレットも配布されています。その中で兵庫県菓子工業組合は「おかしのはじまり」を配付していました。そこには、第11代垂仁天皇が田道間守に「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰るように命じた時からお菓子の歴史が書かれていました。

実は、この田道間守については、岡野弘彦先生の「源氏物語全講会」で触れられたときがありました。

それは、「真木柱」の「かりの子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならずたてまつれたまふ。」という箇所を解説されたときです。
以下、先生の解説です。
「かりの子のいと多かるを御覧じて」。「かりの子」は、「かり」は雁(がん)を指すことが多いんですけれども、雁の卵というよりは、これは恐らく、鴨の卵。「子」はもちろん卵ですね。鴨の子が大層たくさんあるのをご覧になって、「柑子、橘」、「柑子」は「柑子(こうじ)」のことです。「橘」も、当時の原種に近いミカンでしょうが。垂仁天皇の御世のことですね、田道間守(たじまもり)が橘の実を探しにいったという。帰って持ってきたときに、既に天皇は亡くなっていられて、その御陵にそれを献じたという記録がありますけれども、そんな古くから橘というものは、日本人にとってあこがれの木の実であったわけですね。南の方の太陽の輝きのような色をした、異郷の果物のような感じがしたわけでしょう。そのときに田道間守が持ってきたのは矛八矛。真っ直ぐに立った枝。「八」というのは、たくさん、たくさんということの代名詞ですから。それから、蔓のように横に伸びる枝。それも縵八縵(かげやかげ)、蔓状の感じの枝をたくさん、たくさん持ってきたというんです。それから平安時代のこのころまで大分時代がたっていますから、当時の人々の食べたミカンは、田道間守が持ってきたものよりはもう少し改良せられていたでしょうけれども、その「柑子、橘などやうに紛らはして」、つまり鴨の卵を柑子や橘の実を並べるような感じに整えて、「わざとならずたてまつれたまふ」、わざとのことのようではなくて差し上げなされる。食料として贈ったんでしょうね。たくさんある鴨の卵をまるで柑子か橘のように取りなして、余り目につかないような感じでお贈りなされた。
(「3.三月になりて、六条殿の御前の、藤、」で触れられています。引用した箇所は19分44秒頃から始まります。)

源氏物語全講会」には『源氏物語』そのものの解釈だけではなく、様々なお話しが盛り込まれています。

(のあ)

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