源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第127回 「梅枝」より その2

この御方(明石の姫君)は四月にいよいよ入内と定めて、立派に調度を整え、姫君がこれからの手習いの手本になるものも選び出した。源氏は紫の上に女性の筆跡を論じ、兵部卿宮とも書を論じる。内大臣はもの淋しく思い、姫君(雲居雁)とかの人(夕霧)のことで少し気弱になっている。源氏は夕霧に教訓を与える。夕霧は雲居雁に文を出すが、夕霧の縁談の噂を聞いた雲居雁からの返事に納得がいかない。

この御方は、昔の御宿直所、淑景舎を改めしつらひて、御参り延びぬるを、

この御方は、昔の御宿直所、淑景舎を改めしつらひて、御参り延びぬるを、宮にも心もとながらせたまへば、四月にと定めさせたまふ。御調度どもも、もとあるよりもととのへて、御みづからも、ものの下形、絵様などをも御覧じ入れつつ、すぐれたる道々の上手どもを召し集めて、こまかに磨きととのへさせたまふ。
草子の筥に入るべき草子どもの、やがて本にもしたまふべきを選らせたまふ。いにしへの上なき際の御手どもの、世に名を残したまへるたぐひのも、いと多くさぶらふ。

 

「源氏物語全講会」は源氏物語全講会研究顧問の杉浦俊治氏が司会をしています

杉浦氏については こちらをご覧ください。
 森永エンゼル・カレッジ 研究紀要 『源氏物語を読むために~三矢先生を偲んで~』
https://angel-zaidan.org/contents/genji_mitsuya/

「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、

 「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ、今の世はいと際なくなりたる。古き跡は、定まれるやうにはあれど、広き心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける。
 妙にをかしきことは、外よりてこそ書き出づる人びとありけれど、女手を心に入れて習ひし盛りに、こともなき手本多く集へたりしなかに、中宮の母御息所の、心にも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬを得て、際ことにおぼえしはや。
 さて、あるまじき御名も立てきこえしぞかし。悔しきことに思ひしみたまへりしかど、さしもあらざりけり。宮にかく後見仕うまつることを、心深うおはせしかば、亡き御影にも見直したまふらむ。
 宮の御手は、こまかにをかしげなれど、かどや後れたらむ」
 と、うちささめきて聞こえたまふ。

「故入道宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、

 「故入道宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞすくなかりし。
 院の尚侍こそ、今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、かの君と、前斎院と、ここにとこそは、書きたまはめ」
 と、聴しきこえたまへば、
 「この数には、まばゆくや」
 と聞こえたまへば、
 「いたうな過ぐしたまひそ。にこやかなる方のなつかしさは、ことなるものを。真名のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそ混じるめれ」
 とて、まだ書かぬ草子ども作り加へて、表紙、紐などいみじうせさせたまふ。
 「兵部卿宮、左衛門督などにものせむ。みづから一具は書くべし。けしきばみいますがりとも、え書き並べじや」
 と、われぼめをしたまふ。

墨、筆、並びなく選り出でて、例の所々に、ただならぬ御消息あれば、

 墨、筆、並びなく選り出でて、例の所々に、ただならぬ御消息あれば、人びと、難きことに思して、返さひ申したまふもあれば、まめやかに聞こえたまふ。高麗の紙の薄様だちたるが、せめてなまめかしきを、
 「この、もの好みする若き人びと、試みむ」
 とて、宰相中将、式部卿宮の兵衛督、内の大殿の頭中将などに、
 「葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け」
 とのたまへば、皆心々に挑むべかめり。

例の寝殿に離れおはしまして書きたまふ。

 例の寝殿に離れおはしまして書きたまふ。花ざかり過ぎて、浅緑なる空うららかなるに、古き言どもなど思ひすましたまひて、御心のゆく限り、草のも、ただのも、女手も、いみじう書き尽くしたまふ。
 御前に人しげからず、女房二、三人ばかり、墨など擦らせたまひて、ゆゑある古き集の歌など、いかにぞやなど選り出でたまふに、口惜しからぬ限りさぶらふ。
 御簾上げわたして、脇息の上に草子うち置き、端近くうち乱れて、筆の尻くはへて、思ひめぐらしたまへるさま、飽く世なくめでたし。白き赤きなど、掲焉なる枚は、筆とり直し、用意したまへるさまさへ、見知らむ人は、げにめでぬべき御ありさまなり。

「兵部卿宮渡りたまふ」と聞こゆれば、おどろきて、御直衣たてまつり、

 「兵部卿宮渡りたまふ」と聞こゆれば、おどろきて、御直衣たてまつり、御茵参り添へさせたまひて、やがて待ち取り、入れたてまつりたまふ。この宮もいときよげにて、御階段さまよく歩み上りたまふほど、内にも人びとのぞきて見たてまつる。うちかしこまりて、かたみにうるはしだちたまへるも、いときよらなり。
 「つれづれに籠もりはべるも、苦しきまで思うたまへらるる心ののどけさに、折よく渡らせたまへる」
 と、よろこびきこえたまふ。かの御草子待たせて渡りたまへるなりけり。

やがて御覧ずれば、すぐれてしもあらぬ御手を、ただかたかどに、

 やがて御覧ずれば、すぐれてしもあらぬ御手を、ただかたかどに、いといたう筆澄みたるけしきありて書きなしたまへり。歌も、ことさらめき、そばみたる古言どもを選りて、ただ三行ばかりに、文字少なに好ましくぞ書きたまへる。大臣、御覧じ驚きぬ。
 「かうまでは思ひたまへずこそありつれ。さらに筆投げ捨てつべしや」
 と、ねたがりたまふ。
 「かかる御中に面なくくだす筆のほど、さりともとなむ思うたまふる」
 など、戯れたまふ。

書きたまへる草子どもも、隠したまふべきならねば、

 書きたまへる草子どもも、隠したまふべきならねば、取う出たまひて、かたみに御覧ず。
 唐の紙の、いとすくみたるに、草書きたまへる、すぐれてめでたしと見たまふに、高麗の紙の、肌こまかに和うなつかしきが、色などははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手の、うるはしう心とどめて書きたまへる、たとふべきかたなし。
 見たまふ人の涙さへ、水茎に流れ添ふ心地して、飽く世あるまじきに、また、ここの紙屋の色紙の、色あひはなやかなるに、乱れたる草の歌を、筆にまかせて乱れ書きたまへる、見所限りなし。しどろもどろに愛敬づき、見まほしければ、さらに残りどもに目も見やりたまはず。

 

講義中で触れている「野分の巻」については こちらをご参照ください
「源氏物語全講会」 第115回 「野分」その2
https://angel-zaidan.org/genji/115/

左衛門督は、ことことしうかしこげなる筋をのみ好みて書きたれど、

 左衛門督は、ことことしうかしこげなる筋をのみ好みて書きたれど、筆の掟て澄まぬ心地して、いたはり加へたるけしきなり。歌なども、ことさらめきて、選り書きたり。
 女の御は、まほにも取り出でたまはず。斎院のなどは、まして取う出たまはざりけり。

葦手の草子どもぞ、心々にはかなうをかしき。

葦手の草子どもぞ、心々にはかなうをかしき。
  宰相中将のは、水の勢ひ豊に書きなし、そそけたる葦の生ひざまなど、難波の浦に通ひて、こなたかなたいきまじりて、いたう澄みたるところあり。また、いといかめしう、ひきかへて、文字やう、石などのたたずまひ、好み書きたまへる枚もあめり。
  「目も及ばず。これは暇いりぬべきものかな」
  と、興じめでたまふ。何事ももの好みし、艶がりおはする親王にて、いといみじうめできこえたまふ。

今日はまた、手のことどものたまひ暮らし、さまざまの継紙の本ども、

 今日はまた、手のことどものたまひ暮らし、さまざまの継紙の本ども、選り出でさせたまへるついでに、御子の侍従して、宮にさぶらふ本ども取りに遣はす。
 嵯峨の帝の、『古万葉集』を選び書かせたまへる四巻、延喜の帝の、『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継ぎて、同じ色の濃き紋の綺の表紙、同じき玉の軸、緞の唐組の紐など、なまめかしうて、巻ごとに御手の筋を変へつつ、いみじう書き尽くさせたまへる、大殿油短く参りて御覧ずるに、
 「尽きせぬものかな。このころの人は、ただかたそばをけしきばむにこそありけれ」
 など、めでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。
 「女子などを持てはべらましにだに、をさをさ見はやすまじきには伝ふまじきを、まして、朽ちぬべきを」
 など聞こえてたてまつれたまふ。侍従に、唐の本などのいとわざとがましき、沈の筥に入れて、いみじき高麗笛添へて、奉れたまふ。

またこのころは、ただ仮名の定めをしたまひて、世の中に手書くとおぼえたる、

 またこのころは、ただ仮名の定めをしたまひて、世の中に手書くとおぼえたる、上中下の人々にも、さるべきものども思しはからひて、尋ねつつ書かせたまふ。この御筥には、立ち下れるをば混ぜたまはず、わざと、人のほど、品分かせたまひつつ、草子、巻物、皆書かせたてまつりたまふ。
 よろづにめづらかなる御宝物ども、人の朝廷までありがたげなる中に、この本どもなむ、ゆかしと心動きたまふ若人、世に多かりける。御絵どもととのへさせたまふ中に、かの『須磨の日記』は、末にも伝へ知らせむと思せど、「今すこし世をも思し知りなむに」と思し返して、まだ取り出でたまはず。

内の大臣は、この御いそぎを、人の上にて聞きたまふも、いみじう心もとなく、

 内の大臣は、この御いそぎを、人の上にて聞きたまふも、いみじう心もとなく、さうざうしと思す。姫君の御ありさま、盛りにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじき御嘆きぐさなるに、かの人の御けしき、はた、同じやうになだらかなれば、「心弱く進み寄らむも、人笑はれに、人のねむごろなりしきざみに、なびきなましかば」など、人知れず思し嘆きて、一方に罪をもおほせたまはず。
 かくすこしたわみたまへる御けしきを、宰相の君は聞きたまへど、しばしつらかりし御心を憂しと思へば、つれなくもてなし、しづめて、さすがに他ざまの心はつくべくもおぼえず、心づから戯れにくき折多かれど、「浅緑」聞こえごちし御乳母どもに、納言に上りて見えむの御心深かるべし。

大臣は、「あやしう浮きたるさまかな」と、思し悩みて、

 大臣は、「あやしう浮きたるさまかな」と、思し悩みて、
 「かのわたりのこと、思ひ絶えにたらば、右大臣、中務宮などの、けしきばみ言はせたまふめるを、いづくも思ひ定められよ」
 とのたまへど、ものも聞こえたまはず、かしこまりたる御さまにてさぶらひたまふ。
 「かやうのことは、かしこき御教へにだに従ふべくもおぼえざりしかば、言まぜま憂けれど、今思ひあはするには、かの御教へこそ、長き例にはありけれ。
 つれづれとものすれば、思ふところあるにやと、世人も推し量るらむを、宿世の引く方にて、なほなほしきことにありありてなびく、いと尻びに、人悪ろきことぞや。
 いみじう思ひのぼれど、心にしもかなはず、限りのあるものから、好き好きしき心つかはるな。いはけなくより、宮の内に生ひ出でて、身を心にまかせず、所狭く、いささかの事のあやまりもあらば、軽々しきそしりをや負はむと、つつみしだに、なほ好き好きしき咎を負ひて、世にはしたなめられき。
 位浅く、何となき身のほど、うちとけ、心のままなる振る舞ひなどものせらるな。心おのづからおごりぬれば、思ひしづむべきくさはひなき時、女のことにてなむ、かしこき人、昔も乱るる例ありける。
 さるまじきことに心をつけて、人の名をも立て、みづからも恨みを負ふなむ、つひのほだしとなりける。とりあやまりつつ見む人の、わが心にかなはず、忍ばむこと難き節ありとも、なほ思ひ返さむ心をならひて、もしは親の心にゆづり、もしは親なくて世の中かたほにありとも、人柄心苦しうなどあらむ人をば、それを片かどに寄せても見たまへ。わがため、人のため、つひによかるべき心ぞ深うあるべき」
 など、のどやかにつれづるなる折は、かかる心づかひをのみ教へたまふ。

かやうなる御諌めにつきて、戯れにても他ざまの心を思ひかかるは、

 かやうなる御諌めにつきて、戯れにても他ざまの心を思ひかかるは、あはれに、人やりならずおぼえたまふ。女も、常よりことに、大臣の思ひ嘆きたまへる御けしきに、恥づかしう、憂き身と思し沈めど、上はつれなくおほどかにて、眺め過ぐしたまふ。
  御文は、思ひあまりたまふ折々、あはれに心深きさまに聞こえたまふ。「誰がまことをか」と思ひながら、世馴れたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見たまふふし多かり。
  「中務宮なむ、大殿にも御けしき賜はりて、さもやと、思し交はしたなる」
  と人の聞こえければ、大臣は、ひき返し御胸ふたがるべし。忍びて、
  「さることをこそ聞きしか。情けなき人の御心にもありけるかな。大臣の、口入れたまひしに、執念かりきとて、引き違へたまふなるべし。心弱くなびきても、人笑へならましこと」
  など、涙を浮けてのたまへば、姫君、いと恥づかしきにも、そこはかとなく涙のこぼるれば、はしたなくて背きたまへる、らうたげさ限りなし。
  「いかにせまし。なほや進み出でて、けしきをとらまし」
  など、思し乱れて立ちたまひぬる名残も、やがて端近う眺めたまふ。
  「あやしく、心おくれても進み出でつる涙かな。いかに思しつらむ」
  など、よろづに思ひゐたまへるほどに、御文あり。さすがにぞ見たまふ。こまやかにて、

  「つれなさは憂き世の常になりゆくを
   忘れぬ人や人にことなる」

  とあり。「けしきばかりもかすめぬ、つれなさよ」と、思ひ続けたまふは憂けれど、

  「限りとて忘れがたきを忘るるも
   こや世になびく心なるらむ」

  とあるを、「あやし」と、うち置かれず、傾きつつ見ゐたまへり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第127回 「梅枝」より その2
収録日 2009年6月27日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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