第131回 「若菜上」より その1
折口信夫の「若菜」を解説して本文に。病気で出家に心が動いている冷泉院は、女三の宮の行く末が気がかりだった。お見舞いに来た中納言の君(夕霧)を考えるが、六条院(源氏)のことを思う。
講師:岡野弘彦
- 目次
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- はじめに 折口信夫、最後の講義から
- 朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、
- 御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。
- 西山なる御寺造り果てて、移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、
- 春宮は、「かかる御悩みに添へて、
- 「この世に恨み残ることもはべらず。
- 女御にも、うつくしきさまに聞こえつけさせたまふ。
- 朝夕に、この御ことを思し嘆く。年暮れゆくままに、
- 中納言の君参りたまへるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
- 中納言の君、「過ぎはべりにけむ方は、
- 二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、
- 『古事記』と『源氏物語』の通い合い
- 女房などは、覗きて見きこえて、「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」
- 姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、
- 「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年ごろも、かのわたりに心をかけて、
はじめに 折口信夫、最後の講義から
・折口信夫は、亡くなる前年、昭和27年に「若菜」の講義に入り、途中で終る。 折口信夫の源氏全講会の最後の講義。
・「若菜」の巻とは。折口信夫「若菜」の冒頭部分から。
・「宇治十帖」を評価しなかった折口先生
・朧月夜の魅力
・折口信夫の考えていた「ウル源氏物語」は折口自身の個性とからまったもの
朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、
若菜
朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならず悩みわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細く思し召されて、
「年ごろ行なひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」
などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。
御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。その中に、藤壷と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける。
まだ坊と聞こえさせし時参りたまひて、高き位にも定まりたまべかりし人の、取り立てたる御後見もおはせず、母方もその筋となく、ものはかなき更衣腹にてものしたまひければ、御交じらひのほども心細げにて、大后の、尚侍を参らせたてまつりたまひて、かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧されて、帝も御心のうちに、いとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、下りさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし。
その御腹の女三の宮を、あまたの御中に、すぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ。
そのほど、御年、十三、四ばかりおはす。
「今はと背き捨て、山籠もりしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむ」
と、ただこの御ことをうしろめたく思し嘆く。
西山なる御寺造り果てて、移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、
西山なる御寺造り果てて、移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、またこの宮の御裳着のことを思しいそがせたまふ。
院のうちにやむごとなく思す御宝物、御調度どもをばさらにもいはず、はかなき御遊びものまで、すこしゆゑある限りをば、ただこの御方に取りわたしたてまつらせたまひて、その次々をなむ、異御子たちには、御処分どもありける。
春宮は、「かかる御悩みに添へて、
春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせたまふべき御心づかひになむ」と聞かせたまひて、渡らせたまへり。母女御、添ひきこえさせたまひて参りたまへり。すぐれたる御おぼえにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御宿世の、限りなくめでたければ、年ごろの御物語、こまやかに聞こえさせたまひけり。
宮にも、よろづのこと、世をたもちたまはむ御心づかひなど、聞こえ知らせたまふ。御年のほどよりはいとよく大人びさせたまひて、御後見どもも、こなたかなた、軽々しからぬ仲らひにものしたまへば、いとうしろやすく思ひきこえさせたまふ。
「この世に恨み残ることもはべらず。
「この世に恨み残ることもはべらず。女宮たちのあまた残りとどまる行く先を思ひやるなむ、さらぬ別れにもほだしなりぬべかりける。さきざき、人の上に見聞きしにも、女は心よりほかに、あはあはしく、人におとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく悲しき。
いづれをも、思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて、御心とどめて思し尋ねよ。その中に、後見などあるは、さる方にも思ひ譲りはべり。
三の宮なむ、いはけなき齢にて、ただ一人を頼もしきものとならひて、うち捨ててむ後の世に、ただよひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しくはべる」
と、御目おし拭ひつつ、聞こえ知らせさせたまふ。
女御にも、うつくしきさまに聞こえつけさせたまふ。
女御にも、うつくしきさまに聞こえつけさせたまふ。されど、女御の、人よりはまさりて時めきたまひしに、皆挑み交はしたまひしほど、御仲らひども、えうるはしからざりしかば、その名残にて、「げに、今はわざと憎しなどはなくとも、まことに心とどめて思ひ後見むとまでは思さずもや」とぞ推し量らるるかし。
朝夕に、この御ことを思し嘆く。年暮れゆくままに、
朝夕に、この御ことを思し嘆く。年暮れゆくままに、御悩みまことに重くなりまさらせたまひて、御簾の外にも出でさせたまはず。御もののけにて、時々悩ませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、「このたびは、なほ、限りなり」と思し召したり。
御位を去らせたまひつれど、なほその世に頼みそめたてまつりたまへる人びとは、今もなつかしくめでたき御ありさまを、心やりどころに参り仕うまつりたまふ限りは、心を尽くして惜しみきこえたまふ。
六条院よりも、御訪らひしばしばあり。みづからも参りたまふべきよし、聞こし召して、院はいといたく喜びきこえさせたまふ。
中納言の君参りたまへるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
中納言の君参りたまへるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御こと、今の内裏の御ことなむ、取り分きてのたまひ置きしを、公けとなりて、こと限りありければ、うちうちの御心寄せは、変らずながら、はかなきことのあやまりに、心おかれたてまつることもありけむと思ふを、年ごろことに触れて、その恨み残したまへるけしきをなむ漏らしたまはぬ。
賢しき人といへど、身の上になりぬれば、こと違ひて、心動き、かならずその報い見え、ゆがめることなむ、いにしへだに多かりける。
いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐしたまひて、春宮などにも心を寄せきこえたまふ。今はた、またなく親しかるべき仲となり、睦び交はしたまへるも、限りなく心には思ひながら、本性の愚かなるに添へて、子の道の闇にたち交じり、かたくななるさまにやとて、なかなかよそのことに聞こえ放ちたるさまにてはべる。
内裏の御ことは、かの御遺言違へず仕うまつりおきてしかば、かく末の世の明らけき君として、来しかたの御面をも起こしたまふ。本意のごと、いとうれしくなむ。
この秋の行幸の後、いにしへのこととり添へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ。対面に聞こゆべきことどもはべり。かならずみづから訪らひものしたまふべきよし、もよほし申したまへ」
など、うちしほたれつつのたまはす。
中納言の君、「過ぎはべりにけむ方は、
中納言の君、
「過ぎはべりにけむ方は、ともかくも思うたまへ分きがたくはべり。年まかり入りはべりて、朝廷にも仕うまつりはべるあひだ、世の中のことを見たまへまかりありくほどには、大小のことにつけても、うちうちのさるべき物語などのついでにも、『いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ申さるる折ははべらずなむ。
『かく朝廷の御後見を仕うまつりさして、静かなる思ひをかなへむと、ひとへに籠もりゐし後は、何ごとをも、知らぬやうにて、故院の御遺言のごともえ仕うまつらず、御位におはしましし世には、齢のほども、身のうつはものも及ばず、かしこき上の人びと多くて、その心ざしを遂げて御覧ぜらるることもなかりき。今、かく政事を去りて、静かにおはしますころほひ、心のうちをも隔てなく、参りうけたまはらまほしきを、さすがに何となく所狭き身のよそほひにて、おのづから月日を過ぐすこと』
となむ、折々嘆き申したまふ」
など、奏したまふ。
二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、
二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、容貌も盛りに匂ひて、いみじくきよらなるを、御目にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮の御後見に、これをやなど、人知れず思し寄りけり。
「太政大臣のわたりに、今は住みつかれにたりとな。年ごろ心得ぬさまに聞きしが、いとほしかりしを、耳やすきものから、さすがにねたく思ふことこそあれ」
とのたまはする御けしきを、「いかにのたまはするにか」と、あやしく思ひめぐらすに、「この姫宮をかく思し扱ひて、さるべき人あらば、預けて、心やすく世をも思ひ離ればや、となむ思しのたまはする」と、おのづから漏り聞きたまふ便りありければ、「さやうの筋にや」とは思ひぬれど、ふと心得顔にも、何かはいらへきこえさせむ。ただ、
「はかばかしくもはべらぬ身には、寄るべもさぶらひがたくのみなむ」
とばかり奏して止みぬ。
『古事記』と『源氏物語』の通い合い
・歴史時間的に、くっきりくっきりと確証を押さえて言えるということではないが、(『古事記』と『源氏』は)深い心の底のところで響き合うことがいろいろある。
・我々の倫理観、道徳観、あるいは生活の実感というふうなもので全部律して古典を読んでいたら、古典の限界は極めて限られものでしかない。そこから手繰り出してくるものが大事。
女房などは、覗きて見きこえて、「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」
女房などは、覗きて見きこえて、
「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」
「あな、めでた」
など、集りて聞こゆるを、老いしらへるは、
「いで、さりとも、かの院のかばかりにおはせし御ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。いと目もあやにこそきらよにものしたまひしか」
など、言ひしろふを聞こしめして、
「まことに、かれはいとさま異なりし人ぞかし。今はまた、その世にもねびまさりて、光るとはこれを言ふべきにやと見ゆる匂ひなむ、いとど加はりにたる。うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬ心地するを、また、うちとけて、戯れごとをも言ひ乱れ遊べば、その方につけては、似るものなく愛敬づき、なつかしくうつきしきことの、並びなきこそ、世にありがたけれ。何ごとにも前の世推し量られて、めづらかなる人のありさまなり。
宮の内に生ひ出でて、帝王の限りなくかなしきものにしたまひ、さばかり撫でかしづき、身に変へて思したりしかど、心のままにも驕らず、卑下して、二十がうちには、納言にもならずなりにきかし。一つ余りてや、宰相にて大将かけたまへりけむ。
それに、これはいとこよなく進みにためるは、次々の子の世のおぼえのまさるなめりかし。まことに賢き方の才、心もちゐなどは、これもをさをさ劣るまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いと異なめり」
など、めでさせたまふ。
姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、
姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、
「見はやしたてまつり、かつは、まだ片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむに預けきこえばや」
など聞こえたまふ。
大人しき御乳母ども召し出でて、御裳着のほどのことなどのたまはするついでに、
「六条の大殿の、式部卿親王の女生ほし立てけむやうに、この宮を預かりて育まむ人もがな。ただ人の中にはありがたし。内裏には中宮さぶらひたまふ。次々の女御たちとても、いとやむごとなき限りものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうの交じらひ、いとなかなかならむ。
この権中納言の朝臣の独りありつるほどに、うちかすめてこそ試みるべかりけれ。若けれど、いと警策に、生ひ先頼もしげなる人にこそあめるを」
とのたまはす。
「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年ごろも、かのわたりに心をかけて、
「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年ごろも、かのわたりに心をかけて、ほかざまに思ひ移ろふべくもはべらざりけるに、その思ひ叶ひては、いとど揺るぐ方はべらじ。
かの院こそ、なかなか、なほいかなるにつけても、人をゆかしく思したる心は、絶えずものせさせたまふなれ。その中にも、やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れがたくこそ、聞こえたまふなれ」
と申す。
「いで、その旧りせぬあだけこそは、いとうしろめたけれ」
とはのたまはすれど、
「げに、あまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲りおききこえまし」
なども、思し召すべし。
「まことに、少しも世づきてあらせむと思はむ女子持たらば、同じくは、かの人のあたりにこそ、触ればはせまほしけれ。いくばくならぬこの世のあひだは、さばかり心ゆくありさまにてこそ、過ぐさまほしけれ。
われ女ならば、同じはらからなりとも、かならず睦び寄りなまし。若かりし時など、さなむおぼえし。まして、女の欺かれむは、いと、ことわりぞや」
とのたまはせて、御心のうちに、尚侍の君の御ことも、思し出でらるべし。
コンテンツ名 | 源氏物語全講会 第131回 「若菜上」より その1 |
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収録日 | 2009年10月31日 |
講師 | 岡野弘彦(國學院大學名誉教授) |
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