源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第141回 「若菜上」より その11

明石の君のところに突然入ってきた院(源氏)は、入道からの文が来たことを聞き、遺言であることを悟る。源氏は明石の君に紫の上の慈愛の深さを説く。明石の君は謙遜する。大将の君(夕霧)が姫宮(女三の宮)、紫の上、北の方(雲居雁)を比較する。

院は、姫宮の御方におはしけるを、

 院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子よりふと渡りたまへれば、えしも引き隠さで、御几帳をすこし引き寄せて、みづからははた隠れたまへり。
「若宮は、おどろきたまへりや。時の間も恋しきわざなりけり」
と聞こえたまへば、御息所はいらへも聞こえたまはねば、御方、
「対に渡しきこえたまひつ」
と聞こえたまふ。
「いとあやしや。あなたにこの宮を領じたてまつりて、懐をさらに放たずもて扱ひつつ、人やりならず衣も皆濡らして、脱ぎかへがちなめる。軽々しく、などかく渡したてまつりたまふ。こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
とのたまへば、
「いと、うたて。思ひぐまなき御ことかな。女におはしまさむにだに、あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはべらめ。まして男は、限りなしと聞こえさすれど、心やすくおぼえたまふを。戯れにても、かやうに隔てがましきこと、なさかしがり聞こえさせたまひそ」
と聞こえたまふ。うち笑ひて、

「御仲どもにまかせて、

 「御仲どもにまかせて、見放ちきこゆべきななりな。隔てて、今は、誰も誰もさし放ち、さかしらなどのたまふこそ幼けれ。まづは、かやうにはひ隠れて、つれなく言ひ落としたまふめりかし」
とて、御几帳を引きやりたまへれば、母屋の柱に寄りかかりて、いときよげに、心恥づかしげなるさましてものしたまふ。

 

ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ、

 ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ、さておはするを、
「なぞの箱。深き心あらむ。懸想人の長歌詠みて封じこめたる心地こそすれ」
とのたまへば、
「あな、うたてや。今めかしくなり返らせたまふめる御心ならひに、聞き知らぬやうなる御すさび言どもこそ、時々出で来れ」
とて、ほほ笑みたまへれど、ものあはれなりける御けしきどもしるければ、あやしとうち傾きたまへるさまなれば、わづらはしくて、
「かの明石の岩屋より、忍びてはべし御祈りの巻数、また、まだしき願などのはべりけるを、御心にも知らせたてまつるべき折あらば、御覧じおくべくやとてはべるを、ただ今は、ついでなくて、何かは開けさせたまはむ」と聞こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と思して、
「いかに行なひまして住みたまひにたらむ。命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし。世の中に、よしあり、賢しき方々の、人とて見るにも、この世に染みたるほどの濁り深きにやあらむ、賢き方こそあれ、いと限りありつつ及ばざりけりや。
さもいたり深く、さすがに、けしきありし人のありさまかな。聖だち、この世離れ顔にもあらぬものから、下の心は、皆あらぬ世に通ひ住みにたるとこそ、見えしか。
まして、今は心苦しきほだしもなく、思ひ離れにたらむをや。かやすき身ならば、忍びて、いと会はまほしくこそ」
とのたまふ。

「今は、かのはべりし所をも捨てて、

 「今は、かのはべりし所をも捨てて、鳥の音聞こえぬ山にとなむ聞きはべる」
と聞こゆれば、
「さらば、その遺言ななりな。消息は通はしたまふや。尼君、いかに思ひたまふらむ。親子の仲よりも、またさるさまの契りは、ことにこそ添ふべけれ」
とて、うち涙ぐみたまへり。

「年の積もりに、世の中のありさまを、

 「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひは、いかにあはれならむ」
などのたまふついでに、「この夢語りも思し合はすることもや」と思ひて、
「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべき節もや混じりはべるとてなむ。今はとて別れはべりにしかど、なほこそ、あはれは残りはべるものなりけれ」
とて、さまよくうち泣きたまふ。

寄りたまひて、

 寄りたまひて、
「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。手なども、すべて何ごとも、わざと有職にしつべかりける人の、ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ。
かの先祖の大臣は、いとかしこくありがたき心ざしを尽くして、朝廷に仕うまつりたまひけるほどに、ものの違ひめありて、その報いにかく末はなきなりなど、人言ふめりしを、女子の方につけたれど、かくていと嗣なしといふべきにはあらぬも、そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」
など、涙おし拭ひたまひつつ、この夢のわたりに目とどめたまふ。
「あやしくひがひがしく、すずろに高き心ざしありと人も咎め、また我ながらも、さるまじき振る舞ひを、仮にてもするかな、と思ひしことは、この君の生まれたまひし時に、契り深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、おぼつかなくこそ思ひわたりつれ、さらば、かかる頼みありて、あながちには望みしなりけり。横さまに、いみじき目を見、ただよひしも、この人一人のためにこそありけれ。いかなる願をか心に起こしけむ」
とゆかしければ、心のうちに拝みて取りたまひつ。

「これは、また具してたてまつるべきものはべり。

 「これは、また具してたてまつるべきものはべり。今また聞こえ知らせはべらむ」
と、女御には聞こえたまふ。そのついでに、
「今は、かく、いにしへのことをもたどり知りたまひぬれど、あなたの御心ばへを、おろかに思しなすな。もとよりさるべき仲、えさらぬ睦びよりも、横さまの人のなげのあはれをもかけ、一言の心寄せあるは、おぼろけのことにもあらず。
まして、ここになどさぶらひ馴れたまふを見る見るも、初めの心ざし変はらず、深くねむごろに思ひきこえたるを。
いにしへの世のたとへにも、さこそはうはべには育みけれと、らうらうじきたどりあらむも、賢きやうなれど、なほあやまりても、わがため下の心ゆがみたらむ人を、さも思ひ寄らず、うらなからむためは、引き返しあはれに、いかでかかるにはと、罪得がましきにも、思ひ直ることもあるべし。
おぼろけの昔の世のあだならぬ人は、違ふ節々あれど、ひとりひとり罪なき時には、おのづからもてなす例どもあるべかめり。さしもあるまじきことに、かどかどしく癖をつけ、愛敬なく、人をもて離るる心あるは、いとうちとけがたく、思ひぐまなきわざになむあるべき。
多くはあらねど、人の心の、とあるさまかかるおもむきを見るに、ゆゑよしといひ、さまざまに口惜しからぬ際の心ばせあるべかめり。皆おのおの得たる方ありて、取るところなくもあらねど、また、取り立てて、わが後見に思ひ、まめまめしく選び思はむには、ありがたきわざになむ。
ただまことに心の癖なくよきことは、この対をのみなむ、これをぞおいらかなる人といふべかりける、となむ思ひはべる。よしとて、またあまりひたたけて頼もしげなきも、いと口惜しや」
とばかりのたまふに、かたへの人は思ひやられぬかし。

「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、

 「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、いとよし、睦び交はして、この御後見をも、同じ心にてものしたまへ」
など、忍びやかにのたまふ。

「のたまはせねど、

 「のたまはせねど、いとありがたき御けしきを見たてまつるままに、明け暮れの言種に聞こえはべる。めざましきものになど思しゆるさざらむに、かうまで御覧じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで数まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。
数ならぬ身の、さすがに消えぬは、世の聞き耳も、いと苦しく、つつましく思うたまへらるるを、罪なきさまに、もて隠されたてまつりつつのみこそ」
と聞こえたまへば、
「その御ためには、何の心ざしかはあらむ。ただ、この御ありさまを、うち添ひてもえ見たてまつらぬおぼつかなさに、譲りきこえらるるなめり。それもまた、とりもちて、掲焉になどあらぬ御もてなしどもに、よろづのことなのめに目やすくなれば、いとなむ思ひなくうれしき。
はかなきことにて、ものの心得ずひがひがしき人は、立ち交じらふにつけて、人のためさへからきことありかし。さ直しどころなく、誰もものしたまふめれば、心やすくなむ」
とのたまふにつけても、
「さりや、よくこそ卑下しにけれ」
など、思ひ続けたまふ。対へ渡りたまひぬ。

「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。

 「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。げにはた、人よりことに、かくしも具したまへるありさまの、ことわりと見えたまへるこそめでたけれ。
宮の御方、うはべの御かしづきのみめでたくて、渡りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。同じ筋にはおはすれど、今一際は心苦しく」
としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
「やむごとなきだに、思すさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて今は、恨めしき節もなし。ただ、かの絶え籠もりにたる山住みを思ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」
尼君も、ただ、「福地の園に種まきて」とやうなりし一言をうち頼みて、後の世を思ひやりつつ眺めゐたまへり。

大将の君は、この姫宮の御ことを、

 大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、上の儀式はいかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず。
女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと多く、数知らぬまで集ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心のうちのあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、またまことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち混じれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど、院は、いと目につかず見たまふことどもあれど、一つさまに世の中を思しのたまはぬ御本性なれば、かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧じゆるしつつ、戒めととのへさせたまはず。

正身の御ありさまばかりをば、

 正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
かやうのことを、大将の君も、
「げにこそ、ありがたき世なりけれ。紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
と、見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
「わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なり。おだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ」
と見たてまつり知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、「見たてまつる折ありなむや」と、ゆかしく思ひきこえたまひけり。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第141回 「若菜上」より その11
収録日 2010年7月24日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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