源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第137回 「若菜上」より その7

鎌倉八幡の大銀杏が倒れたことから、実朝、西行の和歌に触れ、本文に。桐壺の御方(明石の女御、源氏の娘)は懐妊し、六条院に里帰りする。源氏は朧月夜と密会する。紫の上は東宮の御方(明石の女御)と女三の宮に対面する。十月に対の上(紫の上)は院の四十の賀を催す。

鎌倉の歌人

・鶴岡八幡宮の銀杏

・慈円と頼朝

天台座主大僧正慈円と頼朝との歌問答。
慈円は頼朝と2、3歌を交し合って、凄い男だとびっくりする。

・新古今の歌人たち

後鳥羽院。そして、俊成、定家。

憂き身をば我だに厭ふいとへただそをだに同じ心と思はむ (俊成)

稀にくる夜半も悲しき松風をたえずや苔の下に聞くらん (俊成)

・巨大な先輩 西行

吉野山去年のしおりの道かへてまだ見ぬ方の花を尋ねむ (西行)

吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらん (西行)

吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき (西行)

・正述心緒

・西行の歌、実朝の歌

ものいはぬよものけだものすらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ (実朝)

ひんがしの国にわがをればあさ日さすはこやの山のかげとなりにき (実朝)

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ (実朝)

ちっぽけなリアリズムに凝り固まった解釈
源氏の文学伝統、戦記物語にのっとった解釈

・「金槐和歌集」は若い実朝の心が痛々しい感じで伝わってくる歌集

・平家と源家の文化伝統

・高い声で源氏を朗読する折口信夫

桐壷の御方は、うちはへえまかでたまはず。

 桐壷の御方は、うちはへえまかでたまはず。御暇のありがたければ、心安くならひたまへる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。
夏ごろ、悩ましくしたまふを、とみにも許しきこえたまはねば、いとわりなしと思す。めづらしきさまの御心地にぞありける。まだいとあえかなる御ほどに、 いとゆゆしくぞ、誰れも誰れも思すらむかし。からうしてまかでたまへり。
姫宮のおはします御殿の東面に、御方はしつらひたり。明石の御方、今は御身に添ひて、出で入りたまふも、あらまほしき御宿世なりかし。

 

(9:00~)
・折口信夫の「若菜の巻」論

折口信夫は『源氏物語』を読んでいながらでも、いつでも、自分たちは、何故、われわれは、仏教渡来以前の、あるいは渡来してから後にでも、根生いの神、根生いの宗教というものを、産み育て構築していかなかっただろう、という思いを持っていた。

戦後、「神道概論」の中で講義した問題
光源氏の上にも、日本人としての巨大な魂を持った男としてみようとしていた。
それが一番発揮せられるのは「若菜」の上下の巻。

対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに、

 対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに、
「姫宮にも、中の戸開けて聞こえむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に聞こえ馴れなば、心安くなむあるべき」
と、大殿に聞こえたまへば、うち笑みて、
「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」
と、許しきこえたまふ。宮よりも、明石の君の恥づかしげにて交じらむを思せば、御髪すましひきつくろひておはする、たぐひあらじと見えたまへり。

大殿は、宮の御方に渡りたまひて、

 大殿は、宮の御方に渡りたまひて、
「夕方、かの対にはべる人の、淑景舎に対面せむとて出で立つ。そのついでに、近づききこえさせまほしげにものすめるを、許して語らひたまへ。心などはいとよき人なり。まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなむ」
など、聞こえたまふ。
「恥づかしうこそはあらめ。何ごとをか聞こえむ」
と、おいらかにのたまふ。
「人のいらへは、ことにしたがひてこそは思し出でめ。隔て置きてなもてなしたまひそ」
と、こまかに教へきこえたまふ。「御仲うるはしくて過ぐしたまへ」と思す。
あまりに何心もなき御ありさまを見あらはされむも、恥づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、「心隔てむもあいなし」と、思すなりけり。

 

対には、かく出で立ちなどしたまふものから、

 対には、かく出で立ちなどしたまふものから、
「我より上の人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ」
など、思ひ続けられて、うち眺めたまふ。手習などするにも、おのづから古言も、もの思はしき筋にのみ書かるるを、「さらば、わが身には思ふことありけり」と、身ながらぞ思し知らるる。

院、渡りたまひて、宮、

 院、渡りたまひて、宮、女御の君などの御さまどもを、「うつくしうもおはするかな」と、さまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と見たまふ。ありがたきことなりかし。
あるべき限り、気高う恥づかしげにととのひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたるさまざまの香りも、取りあつめ、めでたき盛りに見えたまふ。去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、「いかでかくしもありけむ」と思す。

うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、

 うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、見つけたまひて、引き返し見たまふ。手などの、いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり。
「身に近く秋や来ぬらむ見るままに
青葉の山も移ろひにけり」
とある所に、目とどめたまひて、
「水鳥の青羽は色も変はらぬを
萩の下こそけしきことなれ」
など書き添へつつすさびたまふ。ことに触れて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ちたまへるも、ありがたくあはれに思さる。
今宵は、いづ方にも御暇ありぬべければ、かの忍び所に、いとわりなくて、出でたまひにけり。「いとあるまじきこと」と、いみじく思し返すにも、かなはざりけり。

東宮の御方は、実の母君よりも、

 東宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。
御物語など、いとなつかしく聞こえ交はしたまひて、中の戸開けて、宮にも対面したまへり。

いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、

 いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ねきこえたまふ。中納言の乳母といふ召し出でて、
「同じかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき」
などのたまへば、
「頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。背きたまひにし上の御心向けも、ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなむ頼みきこえさせたまひし」
など聞こゆ。
「いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける」
と、安らかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の捨てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、「げに、いと若く心よげなる人かな」と、幼き御心地にはうちとけたまへり。

さて後は、常に御文通ひなどして、

 さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのこ とは、言ひあつかふものなれば、初めつ方は、
「対の上、いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。すこしは劣りなむ」
など言ひけるを、今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを、それにつけても、また安からず言ふ人びとあるに、かく憎げなくさへ聞こえ交はしたまへば、こと直りて、目安くなむありける。

神無月に、対の上、院の御賀に、

 神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養じたてまつりたまふ。いかめしきことは、切にいさめ申したまへば、忍びやかにと思しおきてたり。
仏、経箱、帙簀のととのへ、まことの極楽思ひやらる。最勝王経、金剛般若、寿命経など、いとゆたけき御祈りなり。上達部いと多く参りたまへり。
御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、かたへは、きほひ集りたまふなるべし。
霜枯れわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。御誦経われもわれもと、御方々いかめしくせさせたまふる。

二十三日を御としみの日にて、

 二十三日を御としみの日にて、この院は、かく隙間なく集ひたまへるうちに、わが御私の殿と思す二条の院にて、その御まうけせさせたまふ。御装束をはじめ、おほかたのことどもも、皆こなたにのみしたまふ。御方々も、さるべきことども分けつつ望み仕うまつりたまふ。
対どもは、人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
寝殿の放出を、例のしつらひにて、螺鈿の倚子立てたり。
御殿の西の間に、御衣の机十二立てて、夏冬の御よそひ、御衾など、例のごとく、紫の綾の覆どもうるはしく見えわたりて、うちの心はあらはならず。
御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃の覆したり。插頭の台は、沈の花足、黄金の鳥、銀の枝にゐたる心ばへなど、淑景舎の御あづかりにて、明石の御方のせさせたまへる、ゆゑ深く心ことなり。
うしろの御屏風四帖は、式部卿宮なむせさせたまひける。いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、めづらしき泉水、潭など、目馴れずおもしろし。北の壁に添へて、置物の御厨子、二具立てて、御調度ども例のことなり。
南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめたてまつりて、次々はまして参りたまはぬ人なし。舞台の左右に、楽人の平張打ちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。

未の時ばかりに楽人参る。

 未の時ばかりに楽人参る。「万歳楽」、「皇じやう」など舞ひて、日暮れかかるほどに、高麗の乱声して、「落蹲」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾」をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人びと思したり。
いにしへの朱雀院の行幸に、「青海波」のいみじかりし夕べ、思ひ出でたまふ人々は、権中納言、衛門督、また劣らず立ち続きたまひにける、世々のおぼえありさま、容貌、用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそなど、齢のほどをも数へて、「なほ、さるべきにて、昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけり」と、めでたく思ふ。
主人の院も、あはれに涙ぐましく、思し出でらるることども多かり。

夜に入りて、楽人どもまかり出づ。

 夜に入りて、楽人どもまかり出づ。北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、次々賜ふ。白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。
御遊び始まりて、またいとおもしろし。御琴どもは、春宮よりぞ調へさせたまひける。朱雀院よりわたり参れる琵琶、琴。内裏より賜はりたまへる箏の御琴など、皆昔おぼえたるものの音どもにて、めづらしく掻き合はせたまへるに、何の折にも、過ぎにし方の御ありさま、内裏わたりなど思し出でらる。
「故入道の宮おはせましかば、かかる御賀など、われこそ進み仕うまつらましか。何ごとにつけてかは心ざしも見えたてまつりけむ」
と、飽かず口惜しくのみ思ひ出できこえたまふ。

内裏にも、故宮のおはしまさぬことを、

 内裏にも、故宮のおはしまさぬことを、何ごとにも栄なくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに、例の跡をあるさまのかしこまりを尽くしてもえ見せたてまつらぬを、世とともに飽かぬ心地したまふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思しおきてけれど、
「世の中のわづらひならむこと、さらにせさせたまふまじくなむ」
と否び申したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第137回 「若菜上」より その7
収録日 2010年3月27日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

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