源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第149回 「若菜下」より その7

東日本大震災を挟んでの回。冒頭、この間について触れ、本文に。源氏と紫の上との会話。紫の上は出家を希望するが、源氏は許さない。源氏が、これまでの女性との触れ合いのありようを語る。夕方に(女三の)宮の許に行く。

学統

鈴屋学会


暫く間が開きました。テキストにも次回3月12日と書いてあります。
この時はまだ3月11日がどういう日になるか予測もできませんでした。
この間にいろいろありましたが、源氏物語に関することでは4月16日に伊勢の松坂、宣長さんの郷里、の鈴屋学会で宣長さんの話をしました。
http://www.norinagakinenkan.com/whats/suzugakkai28.html

小林秀雄『本居宣長』、「無常といふ事」
「小林さん、宣長さんは、なんといっても源氏ですよ」(折口信夫)

「学統」は非常に重い言葉
近世から近代にかけての国学者達の心の中では単なる学問の系統ということだけではなくて、もっと深い、師匠から弟子に流れていく魂の伝統。弟子として命がけでその学統を自分なりに推進していく心構えの程をあらわす言葉として、学統という言葉があると思う。

宣長の古事記研究
60%あるいは70%は異説を提出することが出来ないほどすごいもの。

折口信夫が昭和21年4月から開いた「日本紀研究会」
その目的
・折口信夫の内弟子として硫黄島で戦死した折口春美が研究テーマにしていたのが日本紀の研究
・戦後の生き方の思い定まらないものたちに、日本で一番古い歴史書を丹念に読んで、今を生きる心を思い定めさせよう
日本紀竟宴歌(にほんぎきょうえんか)
・地名が変えられるということは、我々の生活の根底の支えの心が消えてしまうということ
・あしゆびもおのころ島をはなれねば、わが思ふこと、おほよそ虚し 釈迢空

国学とは気概の学だ。

折口信夫の國學院と慶應での講義の違い

日本の和歌の表現の伝統
3月11日の大災厄、原子力発電の決着の見えない不気味さの災厄。それを引きづりながら耐えながら生きなければならない我々にとって、我々の文学が、学問がどうあるべきか、自ずから心のあり様は定まってくるという気がします。

逃れることのできない火山列島の日本
自然の中で自然と共生していく、わりあいに柔軟で優しい心を持ち続け、養ってきた日本民族としての特色を持っていることに、誇りと自信をもっていいのではないか。

これから読む「若菜の下」
光源氏の深い反省的な懐古的な思いを紫の上にしみじみと述べるところ、こういうところは折口が「反省の文学 源氏物語」という表題として書こうとした内容と響き合う。

今年は三十七にぞなりたまふ。

 今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、
「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ、思しめぐらして、大きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」
などのたまひ出づ。

「みづからは、

 「みづからは、幼くより、人に異なるさまにて、ことことしく生ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方にたぐひ少なくなむありける。されど、また、世にすぐれて悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。
まづは、思ふ人にさまざま後れ、残りとまれる齢の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの思はしく、心に飽かずおぼゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それに代へてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らるる。
君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱りたまふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、皆かならずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。

高き交じらひにつけても、

 高き交じらひにつけても、心乱れ、人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを、親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。
思ひの外に、この宮のかく渡りものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」
と聞こえたまへば、
「のたまふやうに、ものはかなき身には、過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」
とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。

 

「短歌」六月号に100首、作品を出した。
歌っていて一番感じたのは、随時随所に手を合わせる日本人の「祈りの思い」

 

「まめやかには、

 「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御許しあらば」
と聞こえたまふ。
「それはしも、あるまじきことになむ。さて、かけ離れたまひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ思ふさま異なる心のほどを見果てたまへ」
とのみ聞こえたまふを、例のことと心やましくて、涙ぐみたまへるけしきを、いとあはれと見たてまつりたまひて、よろづに聞こえ紛らはしたまふ。

「多くはあらねど、

 「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ、思ひ果てにたる。
大将の母君を、幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避らぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地して止みにしこそ、今思へば、いとほしく悔しくもあれ。
また、わが過ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。

中宮の御母御息所なむ、

 中宮の御母御息所なむ、さま異に心深くなまめかしき例には、まづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。
心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びを交はさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見落とさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。
いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに人がらを思ひしも、我罪ある心地して止みにし慰めに、中宮をかくさるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり、人の恨みをも知らず、心寄せたてまつるを、かの世ながらも見直されぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」
と、来し方の人の御上、すこしづつのたまひ出でて、
「内裏の御方の御後見は、何ばかりのほどならずと、あなづりそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下に籠もりて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」
とのたまへば、
「異人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見たまふらむと、つつましけれど、女御は、おのづから思し許すらむとのみ思ひてなむ」
とのたまふ。

 

六畳御息所のモデルは、敢えて言うならば『古事記』のイザナミの神の凄まじい怒り、怨念が、なんとなく、投影していると言えば投影しているのではないか。

さばかりめざましと心置きたまへりし人を、

 さばかりめざましと心置きたまへりし人を、今はかく許して見え交はしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかしと思すに、いとありがたければ、
「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により、ことに従ひ、いとよく二筋に心づかひはしたまひけれ。さらにここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いとけしきこそものしたまへ」
と、ほほ笑みて聞こえたまふ。

「宮に、いとよく弾き取りたまへりしことの喜び聞こえむ」

 「宮に、いとよく弾き取りたまへりしことの喜び聞こえむ」
とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心置く人やあらむとも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。
「今は、暇許してうち休ませたまへかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」
とて、御琴どもおしやりて、大殿籠もりぬ。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第149回 「若菜下」より その7
収録日 2011年5月14日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成23年春期講座

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