源氏物語全講会 | 岡野弘彦

第163回 「柏木」より その6

御息所と話をした後、夕霧は致仕の大臣(柏木の父)を見舞い、一条の宮(落葉宮)に参上した話などをする。夕霧はたびたび、一条の宮を訪問する。人々は柏木を追憶している。神話の心の系譜を継ぐ物語としての『源氏物語』について解説している。

かの君は、五、六年のほどのこのかみなりしかど、

かの君は、五、六年のほどのこのかみなりしかど、なほ、いと若やかに、なまめき、あいだれてものしたまひし。これは、いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。若き人びとは、もの悲しさもすこし紛れて見出だしたてまつる。
御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」と、うちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、
「あひ見むことは」
と口ずさびて、
「時しあれば変はらぬ色に匂ひけり
片枝枯れにし宿の桜も」
わざとならず誦じなして立ちたまふに、いととう、
「この春は柳の芽にぞ玉はぬく
咲き散る花の行方知らねば」
と聞こえたまふ。いと深きよしにはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれたまひし更衣なりけり。「げに、めやすきほどの用意なめり」と見たまふ。

致仕の大殿に、

致仕の大殿に、やがて参りたまへれば、君たちあまたものしたまひけり。
「こなたに入らせたまへ」
とあれば、大臣の御出居の方に入りたまへり。ためらひて対面したまへり。古りがたうきよげなる御容貌、いたう痩せ衰へて、御髭などもとりつくろひたまはねば、しげりて、親の孝よりも、けにやつれたまへり。見たてまつりたまふより、いと忍びがたければ、「あまりにをさまらず乱れ落つる涙こそ、はしたなけれ」と思へば、せめてぞもて隠したまふ。
大臣も、「取り分きて御仲よくものしたまひしを」と見たまふに、ただ降りに降り落ちて、えとどめたまはず、尽きせぬ御事どもを聞こえ交はしたまふ。

一条の宮に参でたりつるありさまなど聞こえたまふ。

一条の宮に参でたりつるありさまなど聞こえたまふ。いとどしう、春雨かと見ゆるまで、軒の雫に異ならず、濡らし添へたまふ。畳紙に、かの「柳の芽にぞ」とありつるを、書いたまへるをたてまつりたまへば、「目も見えずや」と、おし絞りつつ見たまふ。
うちひそみつつぞ見たまふ御さま、例は心強うあざやかに、誇りかなる御けしき名残なく、人悪ろし。さるは、異なることなかめれど、この「玉はぬく」とある節の、げにと思さるるに、心乱れて、久しうえためらひたまはず。
「君の御母君の隠れたまへりし秋なむ、世に悲しきことの際にはおぼえはべりしを、女は限りありて、見る人少なう、とあることもかかることもあらはならねば、悲しびも隠ろへてなむありける。
はかばかしからねど、朝廷も捨てたまはず、やうやう人となり、官位につけて、あひ頼む人びと、おのづから次々に多うなりなどして、おどろき口惜しがるも、類に触れてあるべし。
かう深き思ひは、その大方の世のおぼえも、官位も思ほえず。ただことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、堪へがたく恋しかりけれ。何ばかりのことにてか、思ひさますべからむ」
と、空を仰ぎて眺めたまふ。

 

・霊的な強烈な力をもったものが、怒りの心、憤りの心を持って、懲らしめるべきもの、憎むべきものを、流し目でみる。

・年譜で空白になっていた、10代の終わりから20代にかけての折口信夫に関する研究

20代になったばかりの頃が一番激しかった折口信夫

折口信夫が所属していた「神風会」(神道研究団体)に寄付していた、岡野先生の「じいさん」。

・光源氏の、神の眼のような、非常に激烈極まりない激しい、心の溢れ出る、眼の厳しさ

神話の心の系譜を継ぐ物語としての『源氏物語』の中の重要なポイント

夕暮の雲のけしき、

夕暮の雲のけしき、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもをも、今日ぞ目とどめたまふ。この御畳紙に、
「木の下の雫に濡れてさかさまに
霞の衣着たる春かな」
大将の君、
「亡き人も思はざりけむうち捨てて
夕べの霞君着たれとは」
弁の君、
「恨めしや霞の衣誰れ着よと
春よりさきに花の散りけむ」
御わざなど、世の常ならず、いかめしうなむありける。大将殿の北の方をばさるものにて、殿は心ことに、誦経なども、あはれに深き心ばへを加へたまふ。

かの一条の宮にも、

かの一条の宮にも、常に訪らひきこえたまふ。卯月ばかりの卯の花は、そこはかとなう心地よげに、一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづのことにつけて静かに心細う、暮らしかねたまふに、例の渡りたまへり。
庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子薄きものの隠れの方に、蓬も所得顔なり。前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、一村薄も頼もしげに広ごりて、虫の音添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。
伊予簾かけ渡して、鈍色の几帳の衣更へしたる透影、涼しげに見えて、よき童女の、こまやかに鈍ばめる汗衫のつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし。

今日は簀子にゐたまへば、

今日は簀子にゐたまへば、茵さし出でたり。「いと軽らかなる御座なり」とて、例の、御息所おどろかしきこゆれど、このごろ、悩ましとて寄り臥したまへり。とかく聞こえ紛らはすほど、御前の木立ども、思ふことなげなるけしきを見たまふも、いとものあはれなり。
柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して、枝さし交はしたるを、
「いかなる契りにか、末逢へる頼もしさよ」
などのたまひて、忍びやかにさし寄りて、
「ことならば馴らしの枝にならさなむ
葉守の神の許しありきと
御簾の外の隔てあるほどこそ、恨めしけれ」
とて、長押に寄りゐたまへり。
「なよび姿はた、いといたうたをやぎけるをや」
と、これかれつきしろふ。この御あへしらひきこゆる少将の君といふ人して、
「柏木に葉守の神はまさずとも
人ならすべき宿の梢か
うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひたまへなりぬる」
と聞こゆれば、げにと思すに、すこしほほ笑みたまひぬ。

御息所ゐざり出でたまふけはひすれば、

御息所ゐざり出でたまふけはひすれば、やをらゐ直りたまひぬ。
「憂き世の中を、思ひたまへ沈む月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうほれぼれしうて過ぐしはべるを、かくたびたび重ねさせたまふ御訪らひの、いとかたじけなきに、思ひたまへ起こしてなむ」
とて、げに悩ましげなる御けはひなり。
「思ほし嘆くは、世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそはべめれ。さすがに限りある世になむ」
と、慰めきこえたまふ。
「この宮こそ、聞きしよりは心の奥見えたまへ、あはれ、げに、いかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ」
と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御ありさまも問ひきこえたまひけり。
「容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて、見る目により人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ。さま悪しや。ただ、心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。

「今はなほ昔に思ほしなずらへて、

「今はなほ昔に思ほしなずらへて、疎からずもてなさせたまへ」
など、わざと懸想びてはあらねど、ねむごろにけしきばみて聞こえたまふ。直衣姿いとあざやかにて、丈だちものものしう、そぞろかにぞ見えたまひける。
「かの大殿は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬づきたまへることの並びなきなり」
「これは、男々しうはなやかに、あなきよらと、ふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」
と、うちささめきて、
「同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば」
など、人びと言ふめり。

「右将軍が墓に草初めて青し」

「右将軍が墓に草初めて青し」
と、うち口ずさびて、それもいと近き世のことなれば、さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬはなきも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けを立てたる人にぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人、女房などの年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しびきこゆる。まして、上には、御遊びなどの折ごとにも、まづ思し出でてなむ、しのばせたまひける。
「あはれ、衛門督」
といふ言種、何ごとにつけても言はぬ人なし。六条院には、ましてあはれと思し出づること、月日に添へて多かり。
この若君を、御心一つには形見と見なしたまへど、人の思ひ寄らぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君は、ゐざりなど。

コンテンツ名 源氏物語全講会 第163回 「柏木」より その6
収録日 2012年3月3日
講師 岡野弘彦(國學院大學名誉教授)

平成23年秋期講座

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